CYPHARIA 頂のアリス
アリス・ノーライは考える。
──《理力》が生まれたのは何故なのか。
当時の疫病に蝕まれた人類が、生き残るために生物の機能として進化した。
環境に適応するために必要だった進化。それ自体は分かる。生物学的知見から見ても、不思議なことではないだろう。現在、理力の発現は、《選別》に侵された者たちの遺伝子変容が原因だった……とされている。
ではなぜ、《選別》などという事態が起きてしまったのだろうか。全てを変えてしまった、世界の腐食。
それも現在は、悪化の一途を辿っていた環境の変化が原因だったとされている。
別の思考が告げる。
──それは、ただの偶然なのだろうか?
理力の発現は決して奇跡ではなく、自分には、意味があることのように思える。
意味? 今この瞬間にも、世界には数多の意味と無意味が溢れ、生まれ続けているというのに?
この問いかけにすら意味があるともいえるし、ないともいえた。
理力を『持つ者』と『持たざる者』への分断──それは、今も続いている。
問いに答える者などいない。正解を教えてくれる、都合のいい存在などいない。少なくともこの世界には。
だが疑問は尽きない。
だから考える。人は、常に考えなければならない。
《頂》に来て、六年が過ぎた。
生徒として模範となり、『六華』の一人に選ばれてからは──二年。
広がった思考の波紋。
それを鎮めるよう……自分自身の内なる世界に、湖面のような心象を静かにイメージする。
何度も繰り返しおこなってきた、己を律するための心のプロセス。
目を開く──いつの間にか閉じていたようだ──と、眼前には、見慣れた窓に映る自分と、それを見つめる赤い瞳。
その後ろには、新たな春を迎え入れる、外の世界が静かに眠っている。
情緒も風情もなく、ただ周りの世界を認識するのは悪い癖だ──と、自らを諫め、思考を打ち切る。
どのような結論が出ても、自分が悩み、立ち止まることは許されない。
今は休もう。朝を迎えるまで。それくらいの贅沢は、自分にも許されるはずだ。
また──新しい一年が始まるのだから。
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PROLOGUE
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――《理の頂》(ことわりのいただき)
操者を志す若者たちの『最高学府』と称されるこの学び舎も、普通の学校と変わらない光景がそこにはあった。たとえその才がどれだけ異質であっても、人というのは、そう変わるものではないのかもしれない。
希望や野心、自身の未来に期待を持つ者もいれば、現状維持だけで精一杯の者もいる。
そして、それにすら満たない者は……前期の終了と共に《頂》を去った。
《理力操者》とはいえ大半が思春期の学生である以上、新たな口火を切るこの一年を前に、校舎内はどこか浮ついていた。
廊下から、声が聞こえる。
「……今年の外来、どんなのが来ると思う?」
「外来なんて鳴かず飛ばずか、せいぜい一年、もって二年のやつが大半だろ?」
《頂》は、いわゆる一貫教育が主流で、大半の生徒が齢一桁からこの地で学ぶ。
幼少期より在学する生徒たちの中には、こういった『選民(エリート)意識』が根付く傾向にある。事実、幼き頃より《頂》で学ぶ者たちの実力は同世代でも際立っており──それは彼女たちにとって慢心や驕りではなく、《頂》で学ぶことにより培われた自負であり誇りでもあった。
『外来』というのは文字通り、外部から《頂》に編入してくる生徒たちのことである。
普通の生活を送る中で『操者』としての素養を見いだされた者や、物理的・経済的な理由から、適性があるにも関わらず理術を学ぶ環境にない者を迎え入れるために《頂》が行っている制度だ。
編入といっても、そのハードルは決して容易ではなく、《頂》が設けた適性基準を試験や実績、あるいは人脈などにより突破しなければならない。
「いやでも、今年はヤバいのが結構いるらしいよ?」
仲間内でも事情通のその少女は、意地でもこの話題を続けたいらしい。仕方なく応じる。
「去年入ってきた、危険試合で謹慎処分よりヤバい奴とかいないだろ。どんなのさ?」
「そういう意味の『ヤバい』じゃないって。まず、筆記で満点の子がいて……」
「……満点、ねぇ」
筆記試験で好成績を収める者自体は少なくないが、満点というのは確かに珍しい。少なくとも、外来でというのは噂にも聞いたことがなかった。
「そして……アタシはこっちが気になるんだけど、実技で満場一致の合格だった子が一人」
「マジかよ」
外来の実技試験は《頂》の教師数人によって行われるのだが、その内容や、各々の教師が重視する素養は異なるため、満場一致というのは確かに珍しいケースだった。この場合、示した実力、あるいは素質が、誰の目からみても明白──ということになるのだが、《頂》で学ぶ者だからこそ、その事実が眉唾に思える。
そんな人間なら、もっと早くに招集されてもよさそうなものだが……
「去年、ユーロの大会の中等クラスで優勝した……なんつったか。名家だか貴族だかの娘さんが来るって話だろ?そいつか?」
「ああ、うん。エルデね。エルデ・アリンフロット」
大会というのは、理術を修めた学生同士が、技を試し、競い合う――『試技会(しぎかい)』と呼ばれる制度のことである。
もともとは《頂》における『アテンプト・カリキュラム』の一環なのだが、近年は外部でも、そういった試みが行われているのは知っていた。その大会での優勝ともなれば……まずその世代の操者の中では上位クラスといっていい。
なるほど、肩書きとしては十分だ。
――が、
「まぁ所詮、私たちがいない場所での頂点さ」
そもそも《頂》の生徒は外部の試技会に出るのを禁止されている。
もし、自分たちが参加していれば結果は違っていた……と、その表情は雄弁に語っていた。
「でもやっぱ、当面の問題はウチの上位陣だろ。今期はどうなるやら──」
「来たよっ! ほら、アレじゃない?」
憂いを含んだぼやきをさえぎられたことに、若干の不満を感じつつも……はしゃぐ級友が示す窓の外に目を向ける。
《頂》の制服とは違う装いの少女が数人、正門を潜り、敷地内に入ってくる様子が見えた。
「たぶん、あの金髪が噂のエルデさんか……なるほど、お嬢さんだ」
率直な感想だった。髪の毛を両サイドの耳のあたりで結んだお下げ頭と、比較的小柄なせいだろうか。肩書きの割には幼くみえるが……遠目にも、その凛としたたたずまいには貴族然とした自信と気品を感じる。
「……あのショートの眼鏡の子かな? インテリっぽいの」
「だな。他に骨のありそうなのは……」
先の言葉通り、外来にさほど興味はなかったのだが……遠目でも現物を見てしまうと、自然と品定めが始まってしまう。
──ふと、長い黒髪の少女に目が止まる。
正門付近で立ち止まり、こちら──というより校舎か──を見上げているように見える。
流石にここからでは、表情や顔立ちまでうかがうことはできないが。
だが、先ほどの金髪おさげの様な……遠目にも判る堂々とした出で立ちとは対照的な、いたって普通の少女に見えた。操者なら、厳しい訓練によって自然と身につく風格や所作といったものを、一切感じないからだ。
だが彼女も《頂》の制服ではなかった。
おそらくは、ここに来る以前に通っていた学校の制服(もの)だろうが……
「……あの旧世紀みたいな髪型のやつも外来か?」
「……さぁ?」
彼女たちは、その少女を「モブ子」と命名した。
そんなこととはつゆ知らず、当の本人──マミナは、校舎の正面玄関で師であるエリスと合流し、職員棟と呼ばれる建物内を進んでいた。
古い石造りの壁や板張りの床を基調とした校舎内は、自身が通っていた中等部のスクールより古風な作りだが、雰囲気はそう変わらない。清潔さは保たれていたが……よく見れば、木製部分の細かい傷や、壁の染みといった「歴史」も残されている。
ふと視線を向けた先──整然と並ぶ廊下の窓ガラスに映った、自分の姿が目に入る。
背中まで伸びた真っ直ぐな黒い髪。猫目がちの目に青色の瞳。野暮ったくならないよう丁寧に切り揃えた前髪と、たまに頬をかすめるサイドの髪は、形を留めながらも自然でしなやかな印象……のはずだ。
着ている制服は、中等部時代のものだった。
白と紺色を基調としたセーラー服で、白いセーラー襟には濃淡の異なる紺色のラインが二本引かれている。その上から、陽光をたっぷりと含んだライトグレーのカーディガンを羽織っており、胸元のリボンと、手入れには気を使っているスカートの深い青色とは、よく馴染んでいる。中等部時代からの付き合いという期間も相まって、愛着のある一着だ。
《頂》の制服は、採寸は終わっていたが、手元に届くのはまだ時間がかかるらしい。
すると、廊下のあちこちを見回していたこちらの気配を察してか、エリスが言葉をかけてくる。
「昨日はちゃんと眠れた?」
「いえ……それがもう、全然寝付けなくて」
自分の前を行くこの女性──エリス・カシナートも、この《頂》で理術を学んだという。
目の前で揺れる長い髪は、自分の髪より暖かい色合いのダークヘアーで、普段は軽くまとめているが、今日はそのまま背中を柔らかに覆っている。彼女が身にまとうのは《頂》の教師用の礼装で、品位を保ちつつも過度な格式を避けた、控えめな意匠だった。
深みのある黒の上質な生地が静かな気品を湛え、大きく広がった袖口のシルエットは、まるでおとぎ話に登場する魔女のローブを彷彿とさせた。左の胸元には、《頂》の教師である身分を示す、銀細工のブローチが静かに煌めいている。
以前──自分が『とある事件』に巻き込まれた折に、彼女に助けられた。
そして、《頂》の存在すら知らなかった自分に、この道を示してくれたのも彼女である。
もっとも……《頂》に推薦してくれたのは、これもその時にお世話になったエリスの師──自分から見たら師匠の師匠──ということらしいのだが、その辺の詳しい経緯(いきさつ)は知らされていなかった。
「ダメよ? 若いからって夜更かししてたら……まぁ無理もないんだけど」
からかうような口調ではあるが、肩越しにこちらを伺う表情からは、自分を気遣ってくれているのが伝わってくる。こちらを「若い」と言うが、エリス自身の年齢も20代後半くらいのはずだ。直接聞いたことはなかったが。
「大丈夫です。それで……これからどこに行くんですか?」
どこかに連れていかれる不安というよりは、ただ純粋な疑問を口にする。
「《頂》に入学式みたいなものはないから、このまま制服の手配とか生徒章を受け取ったら……あとは寮ね。貴方は私の教室で預かることになるし……」
「あ、それ良かったです。先生がエリスさんじゃなかったら、私どうしたものかと……」
「その辺はまぁ……最初に条件として受け入れてもらったから心配しないで」
エリスは足を止めて振り返り、現状を確認するように……いかにも教師然とした口調で告げてくる。
「貴方は正式に──『カシナート教室』に所属する生徒、という扱いになります」
さらに、右手の人差し指、中指、薬指を立て、それを分かりやすくこちらに提示しながら……
「なんと現在、生徒はたった三人よ。貴方含めてね」
「……へ?」
あっけにとられた自分の反応は折り込み済みだったのか、特に気にした様子もなく続ける。
「《頂》の教師として認められただけでも、だいぶ温情だと思ってるわ……上の人たちに感謝しないとね」
仕方ない、というように手を振ると、彼女は再び目的地へと歩みを再開する。その後を、パタパタとついていきながら聞いてみた。
「ええっと……それって教室として成り立つんですか?」
「貴方が通ってた王都のスクールは、だいぶ規模が大きかったからそう思うんでしょうけど……地方の学校だとそんな珍しいことでもないのよ? というか、何十人もの生徒なんて、私にはとても面倒見きれないし」
最後のは本心なのだろう。エリスとは中等部の派遣教師として知り合ったのだが、彼女は決して事務的な教員ではなく、大人の責任を軽んじない人物だった。
「貴方は生徒として。私は教師として。《頂》(ここ)でのキャリアはお互い一年目ってこと。 頑張りましょう?」
と、軽やかに笑う。
見た目はかけ値なしの美人なのに、どこかこういった少女めいた部分もあって、素敵な女性だな──と思っているし、そういった彼女の美徳や強さに憧れていた。
「さて、目的地はこの上よ」
話をしながら階段を上り、踊り場を抜け、再び廊下に出ようとしたところに
──その少女はいた。
その少女を目にした瞬間──
マミナの聴覚は音を失い、視覚は、その人物以外の色を失った。
世界が静止したようなその光景に……思わず目を見開く。
第一印象は──白い。
その少女は、ただひたすらに白かった。
血管まで透けて見えてしまうのではないかと思うほど、透明感のある白い肌。
絹のように細く、まったくクセのない銀の髪と、印象的な深い紺色のヘアバンド。
まっすぐに引き締められた薄い唇。
それら薄い色合いの中で、静かな意思の光沢を湛えた、宝石のような赤い瞳。
《頂》の制服を身につけてはいたものの──それ以外の色素をどこかに置き忘れてきたような──冗談みたいに現実離れしたその女性を、まるで人形のようだ、とマミナは思った。
「──お久しぶりです。エリスさん」
こちらに気づいた少女が、無表情に口から発したその声音(こわね)はあまりにも静かで……その言葉が、エリスに向けられたものなのだと理解するまで時間がかかった。
エリスは特に驚いた様子もなく、普段、自分に接するのと変わらない口調で応じる。
「……久しぶり。これからまた、よろしくね?」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
少女はただ淡々と言葉を続け、視線だけこちらを伺いながら……
「不躾で恐縮ですが──彼女が?」
「ええ、貴方も編入試験の結果は聞いてるでしょ?」
それは、意識の外で響く音に過ぎなかった。マミナには声として、会話として入ってこない。
自分だけ世界に取り残されたような錯覚。
ただ黙して二人の様子を──いや、その少女を見つめることしかできない。
どれくらい世界は静止していたのだろう?
これが本当に現実なのかと疑い始めたころに、ようやく耳に入ってきた言葉の意味だけは理解できた。
「──それでは、失礼します」
なんということはない、会話の終わりを結ぶ言葉。
少女はエリスに折り目正しく会釈して──静止した世界が再び動き出すように──ゆっくりと、こちらへと近づいてくる。
長い銀髪が揺れ、そのままこちらに声や視線を向けることなく……
──いや、直前に目が合ったかと思うと軽く頭を下げ、あとは何も告げることなく通り過ぎていった。
ほんの刹那、すれ違いざまに見たその横顔が、マミナの脳裏に焼き付く。
気がつけば、彼女の姿は廊下の先へと遠ざかっていった。
「初めて彼女を見た人は……程度は違うけど、皆そんな顔をするわね」
悪戯っぽくエリスがつぶやいた。
「……耳まで赤いのは相当だけど」
自分が完全に呆けていたことに気づいたマミナは、言いようのない恥ずかしさに襲われ、何も言い返せなかった。
どうしようもなく顔が熱い。心臓の鼓動が、やけに大きく耳に響く。
「まぁ見た目もアレだけど……《頂》(ここ)に来て、彼女の名前を知らない人はいないでしょ」
まだ動悸が収まらない自分の様子を見ながら、不敵な表情でエリスは続けた。
「あの子がアリス・ノーライ」
一瞬の静寂。
網膜に眩しく刻み込まれた、少女の背中が遠くに揺れる。
「──今の《頂》の頂点よ」
その言葉は、鐘の音のように胸中に溶けていった。
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