「……最悪ね。なんで貴方がこんなとこにいるのよ?」
〈アリーナ〉の舞台に降り立ったサイガは、顔をつき合わせた途端にそう言われた。
今回の対戦相手は同学年。教室は違うが、お互い見知った関係ではある。
現在、彼女の序列は十九位になる。
「まぁ……そこはホントに、申し訳ないと思ってるよ」
サイガは苦笑しつつ、その第一声に応えた。
「本当は先月──今季の初戦には間に合わせたかったんだけどね。そこもサボっちゃったせいでこのザマさ。あぁ……言っとくけど本意じゃないよ?」
かく言う自分の序列は現在、二十番台の中盤にまで落ち込んでいた。
「そんなこといって……格下狩りの味でも覚えたんじゃないかしら?」
眉根を寄せ、相手が返した不満の声に反論の言葉も浮かんだが……
「まぁ……そういわれても仕方ないか。さっきの二人に比べたら、この対戦カードなんか消化試合もいいところだからね」
──と、先の試技と比べれば、随分と閑散とした場内を眺めつつ、あえて軽口で返す。
実際、試技の開始前から自身を格下と認めるようでは、こちらとしても期待のしようがない。
そのときふと……目の前の相手とは対照的だった、先ほど見かけた熱心な二人組のことが頭に浮かんだ。
(まぁ、あの子達がまだ観てるなら……まんざらでもないか?)
──そう思い直す。
「……ッ。いってくれるじゃない」
軽口にも多少の効果はあったのか、相手の気配に敵意が籠っている。諦めムードで挑まれるよりはマシだろう。怒りも立派な動機になる。
「アンタも不戦敗にしなかったってことは、それなりに期する想いもあったんだろ? ……お互いに、三年だしね」
ダメ押しに発破をかける想いでそう告げると、鼓舞するように……少し大げさに構えてみせる。
「さて。こんな気の滅入る会話なんかこのくらいにして、数少ないお客さんを楽しませてやろうじゃないさ」
チラリと、観戦席の方を意識すると、不思議と口元が弧を描く。
「──外来生も見てることだしね」
サイガのその一声を最後に、試技の幕があがった。
試技の開始コールと同時──
二人は動かなかった。
「──おや?」
サイガは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、おどけたように言葉を残す。
笑ってはいるが、スタンスを大きくとって、相手に拳を向けるその構えには……油断も力みも見当たらない。
「……ッ」
相手は舌打ちせんばかりに怒気の混じった表情で、サイガの出方を窺っていた。
滲む汗が、彼女がいかに開始前から神経をすり減らしていたのかを物語っている。
「突っ込んでくるかと思ってた? そりゃあ悪かった。なにせこっちは初戦なんでね……慎重にいこうと思ってさ」
と、構えながら器用に肩をすくめて、サイガは軽口を叩く。
それに対し……
「らしくないじゃない。でも最初から──」
と、相手の気配が膨れ上がる。
「貴方の土俵に付き合う気はないわっ!」
その一言を接点に、相手の構成陣が展開された。
「──燃え尽きなさいっ! ペイル・フレイム!」
放たれたのは、熱を帯びない青白い光。炎の形を借りただけの、純粋な破壊の指向性がサイガへと殺到する。
対するサイガは、真っ向から迎え撃つとでもいうようにその場を動かない。
左手のガードを水平に降ろし、不自然なほど背中を反らせ──まるで弓でも引くように、右の拳を後方に引く。
そして次の瞬間──サイガは犬歯を覗かせるように口元を歪めると
「いっけぇ──!」
その意気を吐くと同時に、その場で拳を突き出した。
当然、その拳は相手に届かない。
──だが。
裂帛の気合と共に突き出されたサイガの拳から、閃光のような輝きが解き放たれ──迫りくる相手の理術を、その威力をもって粉砕する。
その一撃は、恐ろしく自然で速かった。
文字通り心技一体。速さと威力、理術と体術が、ごく自然と同居している。
「──ッ!?」
相手に浮かぶ驚愕。
それを抑え込んだ時にはもう、彼女は既に、サイガの接近を許していた。
粉砕された炎の残滓を突き破り、ゼロ距離で交わる拳と脚の攻防。
だが、それに耐えたのも一瞬。相手の鳩尾に──鈍い衝撃音と共にサイガの拳が突き刺さる。その威力が突き抜けた身体は、崩れるように意識を失った。
間髪入れず、勝敗を告げる声が会場内に響く中……
勝負を決めた拳を軽く振って、サイガは自嘲気味に呟いた。
「最後ちょっと真似してみたけど……やっぱアリスのようにはいかないや」
それが──この試技で起きた出来事のすべてだった。
「えっと……すごいね。その、さっきの人。サイガさん」
一瞬の決着にそう呟いたマミナは、隣で呆然としているエルデに気付く。
「……エルデ?」
「…………」
エルデはこちらを一瞥し、何か言いかけた。
が、すぐに視線を舞台中央の、結果を誇る様子もないサイガに戻す。
見開かれた目の中で、驚愕に揺れる瞳。マミナは、普段と違うエルデの様子に緊張を覚える。
暫くすると──エルデは震えた声で、その違和感を口にした。
「なんであんなのが……同クラス帯にいるのよ?」
《頂》の教員棟の一室。
そこでは、序列の変動を決める『評定会』が行われていた。
エリスは、目の前の机上に視線を落とす。
部屋の中央を囲むように配置された長机の上には、これまでの試技の結果と詳細が書かれた資料が置かれ、室内は、まるで日差しすらその場を避けたかの如く薄暗い。
これまでに行われた試技の結果を、序列に反映するための話し合いの場。
ここでの意見交換、および決定に従い、ひと月ごとに序列が更新され──
シーズン終了時。《頂》では例年、三月上旬時点の序列が、通年での最終的な成績となるシステムだ。
この場に顔を並べるのは、立会人を務める教師陣、および、《頂》の最高権力者の一人であるルネといった面々で、各自の意見を持ち寄り、生徒の「評価」が決定される。
新任でありながらも、自分がこの場に召喚されたのは──
他でもない。マミナとエルデという二人の生徒を擁する教室の「責任者」であるという一点に尽きるだろう。
誰にも悟られないよう……心拍を整えるように深く嘆息し、エリスは眼前の議題に意識を向け直す。
いま議題になっているのは、マミナの試技会二戦目。
ほかならぬ、自身の生徒に関する審議の真っ最中だからだ。
「友情は美しいものですが……せめて当該試技におけるエルデ・アリンフロットの行動については、公正な裁定と判断を望みます」
その提言は、マミナの二戦目の相手が所属する教室の責任者、マーティ・フレデリック教師によるものだった。
その試技に立ち会っていた、教師の一人が告げる。
「確かに……内容はともかく結果としては、いささか公平さに欠けるかもしれません」
「フェアではありませんな」
──と、同意の声が追従する。
堰を切ったように、場の空気がざわめき始めた。
「試技会規定にある禁則条項。外部からの助力──に抵触すると?」
「わたしもあの場にいましたが、結果的に助言と変わりありませんでしたからね。あれから明確に、試技の流れが変わってしまった」
「となると……やはり干渉と言わざるを得ませんな」
「欧州圏を制したとはいえ、困ったお嬢さんですな。いや、これは失敬。エリス先生には同情しますよ」
議場に流れる言葉を受け止め、一度だけ短く目を閉じる。
なんとか自制しようとするが、それでも抑えきれないものが溢れるように……冷たい汗が頬を伝う。ここでエルデの行動が『ペナルティ』と見なされれば、序列への影響は避けられない。思わず表情が強張るが、表向きの平静は保つ。保たねばならない。
「さすがのフレデリック教師も……手塩に育てた教え子が、無名の外来に敗けたとあっては不本意でしたかな?」
「……からかわないで頂きたい」
普段は鉄面皮の印象だったフレデリック教師が、珍しく苦笑して言葉に応じた。
「まさか、いまさら結果を覆せとは申せますまい? マミナという外来生が、件の罵声……いえ、激励を受けてからみせた動きは、それは目を見張るものがありました。あれが彼女本来の実力であるならば──」
「君の生徒の敗着は、やはり必然だったと?」
「そのように受け止めております」
僅かな自嘲を漂わせたフレデリック教師の言に、エリスと同世代の教師が告げる。
「……外からの声ひとつで覆る実力なら、操者としては未熟だったということでしょう? 逆に、マミナという生徒がそこから立て直したという事実は、資質や潜在性の証明では?」
「無論です。自身の優勢……勝てる試技を落としたのは、私の生徒自身の失点であり、弱さですよ」
事もなげにフレデリック教師は反論する。
「私が申し上げたいのは──その結果に至る過程。問題の試技における転機となった、エルデ・アリンフロットという生徒の助言行為。その一点だけです。結果だけをみて、それをマミナという生徒の評価とするには疑問を呈する。それ以上の意図はありません」
「……認めましょう」
それまで沈黙を保っていたルネの言葉に、場が水を打ったように静まり返る。
飾り気のない室内で、次第に自分へと向けられる視線──エリスはまるで、延々と胸中を弄られているような心地だった。
「エリス教師。何か反論は?」
ルネの発した言葉に、反射的に喉の奥から出かかった言葉を飲み込む。
こちらを見つめるルネの視線が、この薄暗い部屋の中でも語っていたのだ。
──さぁ、どうするんだい? と。
課題をつきつけられた生徒時代の感覚が、ふと蘇る。
ルネという人物に関しては、この場にいる誰よりも理解しているつもりではある。
この人は、別に自分の肩を持ちはしないだろう。
ここで考慮すべきなのは、フレデリック教師の意図。
そして、彼がこう提言したことで今後起きうる事態だ。
自分では推し量ることのできない上層部の力学。
フレデリックという人物をそれほど知っているわけではないが、ただの当てつけでこういった提言をする人物にも思えなかった。
今も、こちらを試すというよりは自分の意見を述べたに過ぎない──といった様子で、感情の読めない視線をこちらに向けている。
自分は……この場にいる教師陣と比べれば、明らかにこういった状況・場においての経験が足りない。そもそも、こういった腹の探り合いに向いていないのは百も承知だった。
エルデの行動に関しては、完全に自分の想定や予測の外にあるものだった。
彼女がまさか、ああいった感情任せの行動にでるとは思ってもいなかったのだ。
エルデがアリスの背中を目指すというのなら……それは必ず彼女が乗り越えるべき課題になり得るのだが、少なくとも、そんなエルデの不器用な人間性をエリスは好ましく、尊いものだと感じている。
マミナとエルデ。
二人の生徒のこういった純粋さを守るのも──自分の責務であり、願いでもある。
慎重に逡巡する。
自分の役割、そして責任を考えれば、慎重すぎるに越したことはない。
マミナの序列変動が押さえつけられることによって生じる、あらゆる可能性──
提示された盤面に対して、最善手を探る思考の巡り。
永遠とも感じられる沈黙の中で、一つの答えを出した。
「──ありません」
マミナ達が序列上位の操者達と相対するためには、まだまだ時間が必要だった。
シーズン戦略として考えた場合でも、不都合ではないハズだ。
だが──
自分がそう発した瞬間、静かに瞼を降ろしたルネの反応に……
エリスは、得体のしれない胸騒ぎを覚えた。
評定が終わり、議場に一人残ったルネは、かつて自身の教え子であったエリスの──議場での様子を思い返しながら独りごちる。
「聞き分けがいいのも結構だが──」
まぁ《頂》を離れていたエリスに、あの無駄に老獪な連中の、腹の内まで見透かすような真似を求めるのも酷な話だろう。相手の理屈に、筋が通っているとあっては尚更だ。
まさかあの場で、「あれは尊い友情だ」などと主張しても通るまい。
──だがそれでも。
「詭弁でもいい。アンタは異論を唱えておくべきだったね」
机上には、盤上の稚戯にも似た思惑の縮図──評定により決定された序列と、次の組み合わせの草案がまとめられている。
それを眺めながら……すっかり皺も節も目立つようになった指先で、机の表面をこつこつと叩いた。
触れてきたもの、掴んできたもの。そして手放してきたもの。
──指には、持ち主の歩みのすべてが宿る。
そんな自身の哲学が頭をよぎり、思考の淵へと沈んでいく。
ルネ個人に、試技会のマッチングに関わる権限はあれど、決定権はない。それを個人に委ねるほど、試技会という制度も、《頂》という組織も甘くはなかった。
まさか事前に自分の予測を、エリスに伝えるような真似は……できる筈もないだろう。それこそ公平性に欠けるというものだ。
だが、先ほどの『評定の結果』として浮かぶ可能性。
さすがに連中──フレデリック教師達が、そこまで意図したものでもないだろう。なにせ〝彼女〟に関しては、《頂》史においてもイレギュラーなのだから。
最後にぽつりと、ルネは誰もいない空間へと独りごちる。
「次にあの子達の前に立つのは──この場所でもっとも純粋で、もっとも危険な意地かもしれないね」
静寂に溶けていくその呟きには、かつての弟子に対する憐れみと──
彼女達がこの事態をどう切り抜けるのか、その期待を愉しむような含みがあった。
正面玄関横の大掲示板。
そこに、これまでに行われた試技の結果を受け、更新された序列が張り出される。
試技会に参加する生徒達が、自身のこと、あるいは今シーズンの状況を確認しに集まる中──マミナとエルデの二人も例にもれず、その群衆に紛れてそれぞれの位置を確認していた。
現在、マミナは二十位。エルデは二十四位となっている。
内容的には辛勝だったマミナの上昇幅は二つ。快勝だったエルデは先月より四つ上げており、マミナとの差を詰めるカタチになっていた。
そのことに、マミナに焦りは微塵もなく、むしろ良かったという思いの方が強かった。だが、隣にいるエルデにはどう見えているのか……それは彼女が時折見せる、感情を伏せた表情から推し量ることはできなかった。
そんなエルデを横目で窺ったあと、マミナは──あまり多くはなかったが、面識のある参加者の位置を確認していく。
アリスは──当然一位。
ティティスは前回の十三位から十位へと上がり、アリスに負けてしまったステラは……四位から六位に後退していた。ふと気になって、前回の相手だった生徒の位置を確認すると、彼女は二十二位。マミナと順位が入れ替わった格好となっている。
序列の変動がどのように決められているのか、そのカラクリをマミナは知る由もなかったので、素直にその疑問を隣のエルデにこぼすと──
「試技会の評価基準に関しては知ってるでしょ? 勝ち星だけじゃなくて、その試技の内容──理術の精度や扱い方から、近接距離(インレンジ)の技術。果ては試技中の言動や態度まで踏まえた上で、判断されるってこと」
と、右手の人差し指を立てながら──癖なのかもしれない──と解説してくれた。
「態度や言動って意味では、アンタの相手も大概だったし──」
と、そこでエルデが言葉を止める。
「……?」
どうしたのかと視線で問いかけても、エルデはそれには応えず「ひょっとして……」と小さく呟いただけで、視線を下げて一人で考え込んでしまった。
この間の件といい、不自然だとは思ったが……邪魔するのも悪いと思い、マミナは掲示板に視線を戻す。
──要するに、試合の〝内容〟も見て判断されるということだ。
そのことは、辛勝だった自分が停滞し、快勝だったエルデが大きく上昇していることが証明している。
誠心誠意、試技に臨むことの重要性を、マミナは改めて実感するのであった。
すると──
「どお? 何位だった?」
と、周りの気を惹かない程度に抑えられた声量で、後ろから声をかけられる。
声の大きさ自体は控えめだったが、その声色には、相変わらずどこか弾むような感触があったので、声の主が誰なのかはすぐに思い当たった。
マミナが振り返ると──そこにはやはり、ティティスが楽しそうな笑みを浮かべて真後ろに立っている。
ゆるやかに波打つ、金というよりもホワイトリリーといった色合いの髪は、腰のあたりまで流れており、左眼を覆う黒地の眼帯には、白い薔薇の刺繍が施されている。
《頂》の制服を着てはいるが、その上から黒い上着を羽織っており、その黒を基調とした出で立ちには、どこか退廃美や神秘性といったものを感じさせた。
声を抑えていても、結局本人が目立つせいで、あまり役に立っていないのではないかとマミナは思った。事実、他の生徒の視線が彼女──というより、こちらに集まってしまっている。
だが、ティティス本人は微塵も気にする様子はなく、掲示板の方を楽しむように眺めている。
「あ、おはようございます。ティティス先輩」
マミナが控え目に挨拶すると、ティティスはこちらに視線を向けて不満の声をあげた。
「〝先輩〟はやめてほしいな〜。だって、なんか他人行儀ってカンジ、するじゃない?」
「あ……じゃあ、ええっと……ティティスさん。……でいいですか?」
最近似たようなことあったなー……と、既視感を覚えて隣にいるエルデを見やると……
エルデは明らかに自分に対し、口を一瞬だけ〝い〟の形にして、『こっち見るな』と目で言ってきたので、慌ててマミナは視線を戻した。
「ん〜……まだちょーっと固いカンジするけど、そういうのもアナタの魅力よね。うん。ぜんぜん大丈夫っ」
と、にこやかに笑ったティティスは、そんなエルデの反応を気にした様子もない。
マミナは、ティティスのことを変わった人だなとは思うし、何故この人が自分を気にかけてくれるのかも分からなかったが──不思議と嫌だとか、警戒心といったような感情は浮かばなかった。むしろ、アリスやエルデとはまた別の意味で、綺麗な人だなと思うし、それが少し羨ましくもあった。
そんなことを考えていると──ティティスが鈴の音にも似た声色で呟く。
「あら……? せっかく勝ったのに、あんまり序列、上がってないんだ……」
そうこぼして掲示板を眺めるティティスの表情に、今までとは違う気配を感じた。
いま……一瞬だけ視線に冷たいものが混じったような……?
「……いえ。正直、上がっただけでも御の字ですから」
マミナは薄笑いを浮かべつつ、だが本心からそう告げた。
すると──ティティスは口元に右手を当てて、親指で下唇を撫でながら序列をじっと眺めてる。
しばらくすると、まるで何か面白いものをみつけたように表情を変えて、ふわりと口角を上げた。
「そう? まぁでも二十位って、なんかキリが良いからいいんじゃない?」
いつもの調子で、ティティスはそんなことを言ってくる。
確かにそれは、マミナも少しだけ感じたことではある。序列に対し、そういった感想を持つのは不謹慎な気がしたので黙ってはいたのだが……
「あ、そっかぁ。わたしは今十位だから、そう考えると悪くないかも。……お揃い?」
そんなマミナの内心を知ってか知らずか──ティティスはクスクスと笑い、偶然の一致を楽しんでいる様子だった。
カシナート教室に隣接する、教師用の小さな個室。
しょせんは準備室のようなものだが、《頂》では数少ないエリス個人の空間ともいえるので、エリスはこの部屋が嫌いではなかった。
隣の教室にマミナ達がいるときは、その会話や学びの音も、心地のいいリズムになる。
エリスが確認書類に目を通していると、入口の扉が丁寧にノックされた。
すっかり音で分かる。これはクリスだ。
「──いいわよ。入って」
エリスは書類を重ねて、机の端に寄せる。別に大した書類ではないが、慣習的なものだ。
「失礼します」
クリスが折り目正しく室内に入ってくる。
上層部との連携や、外部との橋渡しに書簡の作成──
こういった手続きは地味に時間を取られるため、『司書課』のクリスには実地研修という名目で、あれこれとお願いすることが増えている。マミナとエルデには申し訳ないが、こういったことはクリスが一番適任であるし、試技会と訓練、座学にも追われている二人に、向かないことをやらせる必要もないだろう。
実際、自分も二人も、クリスの存在に大いに助けられている。
カシナート教室というチームの、マネージャーといったところか。
精緻で複雑な機構ほど、潤滑油がなければ存分に機能しないのだ。
「どうしたの?」
そんなことを考えながらクリスに要件を尋ねると、彼女は小脇に抱えていたファイルから大判の封書を取り出し、自然な所作で差し出してくる。
「試技会執行部からです。今月の序列と、来月分の組み合わせとのことでした」
開封されていないので、当然クリスは中身についてはまだ未確認だろう。もっとも、この生徒が許可なく書類を閲覧するような姿など、想像もできなかったが。
一つ、深く息をつく。
それを見止めたクリスの表情が明らかに気遣いを見せるが、それには微笑み返して応えておいた。
この封書が届くのが、今日になるのは予定通りだ。それは問題ない。
ただ、内容を確認する前にひと心地つきたかったのだ。
なにせこれには──これから約一ヶ月間、マミナとエルデ、二人が向き合うべき命題が記されているのだから。
「ありがとう。確認させてもらうわ」
丁寧に封書を切り、中の書類を取り出す。
同封されていたのは二つの書類。
一つは、いまごろ掲示板にも貼り出されているであろう最新の序列一覧。
重要なのは、もう一つの書類──来月行われる、担当生徒の「次戦の対戦相手」の通知だった。
現在、マミナの方が序列は上なので、まず彼女の相手が記載されていた。
──サイガ・ロア(十八位)
その名前を見た瞬間、反射的に瞳孔が開き、背筋と意識が凍り付く。
狭い室内に一人、取り残された錯覚さえ覚えた。
「……先生?」
その気配を感じたクリスの表情が、不安に曇るのも分かったが……今度は彼女を気遣う余裕はなかった。
──評定会で感じた胸騒ぎの正体。
我知らず半開きになっていた口を閉じ、唇を噛む。
苦い思いで、次に書かれていたエルデの相手を確認すると……二十一位。サリーナ・モレン。
だがこの相手も、先月は十番台にいた生徒だ。二人揃って、一段階上のステージに踏み込むことになる。
対戦の可能性がある生徒に関しては、当然チェックしていた。
操者としてのスタイル、長所、記録に残る限りの過去の試技……あらゆる相手を想定し、対策を練ってきた自負はある。そして少しずつ……でも着実に、成長していくであろう二人を見守るつもりだったのだ。芽吹くための土壌を育てるように。
だが──
今の段階でサイガと戦うのは予定外のことだった。
おそらく《頂》の序列に並ぶ操者達の中で──首席であるアリス以上に、マミナとの相性は最悪といえる相手だ。
マミナが二戦目で戦った相手の比ではない。
サイガに近接戦(インファイト)を挑まれれば、マミナは成す術もなく降ろされるだろう。そして彼女に、近接戦闘を「挑まれない」ようにするのは、まず不可能だった。
未だ不安げな表情を浮かべているクリスに、今度はしっかりと微笑み返して、決意と共に口を開いた。
「クリス。急ぎでお願いしたいことがあるの」
「はい、なんでしょうか?」
「彼女に関する資料、追加で集めてもらえる? 特に過去の試技の映像記録があれば。出来るかぎり」
「……解りました。すぐに」
短く頷き、足早に退室していくクリスの背中を見送る。
……決まった以上はやらねばならない。
今出来ること、しなければならないことを、出来る限り。
それが、例え誰か──あるいは運命の──奸計であったとしても。
課題を洗い出し、糸口を探り、それがどんなものであれ活路を見出す。
それが、残された時間で自分がやらなければいけないことなのだ。
──とにかく時間が足りない。
エリスには、巡り合わせに嘆く時間すら惜しかった。
エリスが体技室に向かうと、いつもの運動服に着替えた二人が組み手稽古に励んでいた。
対峙するエルデの右の一打を、マミナは姿勢を低くして、エルデの懐へと潜り込むように避ける。
すると──エルデは半眼になって、目の前に差し出される格好となったマミナの後頭部を、軽く「ぺん」と叩いた。
間髪入れずに、エルデは叱責する。
「相手の手が届く位置に、急所さらすような避け方しない! ここへの打撃とか試技的にはアウトだけど、相手が自重する保証なんてないんだから──自分で気をつけなきゃダメでしょ!」
互いに一旦停止し、マミナがエルデに叩かれた箇所を意識するようにさすっていると……
エルデは自身の首裏を数回、軽く叩きながら、
「ここへの打撃は、洒落にならないのよ?」
と補足し、ぴしっとマミナに指を向けて指摘した。
「あんた、二戦目の中盤でも同じことやってたでしょ」
「えっ? そうだったっけ……」
と、マミナ。しっかり見てるし、覚えてるものなんだなぁ……といった表情で、感心するようにエルデを眺めている。
「頭で考える余裕なんてないんだから、今のうちに矯正しておくこと。身体で覚えなさい?」
エルデにそう言われると、マミナはハッとしたように頭を下げ、はにかみながら「ありがとう」と、素直に感謝を伝えていた。
──そんな二人の様子を、体技室の入口で見守りながら考える。
(技術は人に教えることができて、はじめて一流……とは言ったけど。エルデはそうね……この一ヶ月、マミナに教えながら自身も矯正してる)
思わず口元がゆるむ。エリスは、自嘲まじりにぽつんとこぼした
「……教え魔ね。きっと私より教師に向いてるわ」
マミナの二戦目に関しては、技術的なことよりも──エルデと組み手をさせることで培われるものを期待して、ああいった方針にしたのだ。試技の結果は、別に自分が意図したものではなく、二人の奮起によって勝ち取ったものだ。もちろん、勝利して欲しい気持ちがあったのは確かだが……それ以上にマミナが無事に済むように。そして今後も、試技会という舞台に立つ心得や技術の最低条件をクリアさせるためのものだった。
だが──次の相手がサイガとなると話は違う。
エリスは意を固め、二回、手を鳴らした。
室内に響く乾いた音に導かれるように、二人の生徒がこちらを向く。
「お疲れ様二人とも。一旦休んで。話があるわ」
そう告げながら、生徒たちの元へと歩む自分の足音だけが、室内の床へと沈んでいく。
二人は自然と表情を引き締め、背筋を伸ばしている。
本当に良い子達だ──と胸中で思いながら、エリスは二人の手前で立ち止まった。
「今月分の序列はもう……確認した?」
無意識に──自分の口から出た言葉に、どう告げるべきかという迷いと、それを先延ばしにしている自分の弱さを自覚する。
「はい。さっき掲示板で……」
と、マミナが普段と変わらぬ様子で答える。
「そう……二人とも、あらためて二戦目お疲れ様。そして……息つく間もなくて恐縮なんだけど……」
一旦言葉を切って、続ける。
「次の対戦相手が決まったわ」
生徒たちの顔に、緊張の色が走った。
「エルデの相手は……二十一位のサリーナ・モレン。先月まで十番台にいた生徒よ」
「その名前……このあいだ、その人の試技は観ました。アリスさんのあとの……その。負け試合でしたけど」
と、歯切れの悪い調子で答えたエルデに視線を送り、
「その試技の結果は忘れなさい。サリーナの真価を示すものではないから」
と伝える。
「……わかりました」
表情にわずかな影を落として、エルデはそう呟いた。
その試合を観ていたということは──当然、対戦相手のことも観ていたはずだ。そのとき十九位だったサリーナを〝参考にならない〟ような試合で沈めた相手を。
その記憶が蘇ったのだろう。エルデの表情が愁眉に翳り、体技室の空気がにわかに重く、冷たいものへと変わっていく。
多くの指導者がそうするように──エリスは腕組みし、努めて客観的にエルデに告げた。
「サリーナは、分類するならバランス型の操者よ。メンタル面に課題はあるけど、初等部から《頂》に在籍してる生徒なだけあって、理術の扱いに関しては上位陣と比べても遜色ないわ。三年生っていうキャリアもある。でもあなたなら──」
強調するように間を置いて、エルデに向かって、再び口を開く。
「決して勝てない相手じゃない──と、私は思ってるわ」
それは励ましではなく本心だった。決して楽な相手ではないが、エルデもまた、優れた操者なのだから。それはきっと──エルデ自身が思っている以上に。
エリスはここまで告げて、やはり最大の問題を先延ばしにしているなと実感する。
一度ゆっくりと目を閉じて、深く、静かに深呼吸をした。
とにかく気持ちを切り替えるきっかけと、間が欲しかったのだ。
マミナもエルデも、自分が何かを言い淀んでいることには、既に気付いているだろう。
覚悟を決める。自分がこの有様では話にならない。
「相手を実際に観たなら……話が早いわ。貴方たちが観た試技で、そのサリーナを倒した相手が──次の貴女の相手よ。マミナ」
「────っ!」
マミナの反応より先に、エルデの動揺が広がった。普段はどこか勝気なその目を、驚愕に見開いている。おそらくは……さきほど通知を受けた自分と同じように。
マミナ自身も、エリスの言葉尻の重さとエルデの反応から──このカードの深刻さを察知したのだろう。いつもは柔和な表情が、みるみるうちに緊張と不安に浸食される。
これ以上言葉を濁すと……必要以上にプレッシャーになる。
そう判断し、必要なことだけを淡々と告げるよう意識する。自分の焦りを伝播させないように。
「──サイガ・ロア。現在の序列は十八位。だけどこの数字は、彼女本来の実力を表したものではないわ」
「……というと?」
マミナが、怪訝な表情で聞き返してくる。
エリスは、前々から──自身が《頂》に来てから知ることになった事実を説明する。あまりに特殊なケースなので、もともと《頂》に所属する人間のあいだでは、有名な話だったのだ。
「彼女はもともと序列一桁の操者よ。ただこの半年間……《頂》の外に出てたのよ。無許可で」
「……え?」
「はぁ?」
二人の困惑が、違う言葉で重なった。
正直、エリスもこのことを知ったときは同じ感想だった。いうまでもなく問題児である。
「本人曰く──『修行の旅』に出ていたそうよ。度々そういった行動をとる生徒ではあったらしいんだけど……今回みたいな半年間にも及ぶ長期不在はさすがに初よ。不在期間中の試技は、ひとつを除いて不戦敗扱いになってるわ」
「ひとつ?」
気になったのか、エルデが眉間に皺を寄せて返してきたので、自分が知る範囲で説明する。
「一度だけ戻ってきて……試技を行ってるのよ。時期的には不在期間の真ん中あたり。その時の相手は序列一桁。それも上位の生徒だったから──これは推測だけど、その相手と戦いたかったからでしょうね。個人的な因縁か、たんに修行の成果を試したかったのかまでは分からないけど」
「な……なるほど」
「戦闘狂ってヤツね……」
二人の生徒は、それぞれの反応を示した。
「戦闘狂っていうのは……どうかしらね。だってそれなら、他の試技もサボらないでしょ?」
「ええっと、じゃあどうして……?」
すっかり困惑しているマミナに対し、エリスは肩をすくめて応じた。
「──彼女の目的が『アリスに勝つこと』だからよ。今月戻ってきた時に、当然《頂》で審問を受けたんだけど……そのとき、堂々とそう答えたそうだから。彼女にとってはそれだけが目的で、一連の行動はそのための過程ってとこじゃないかしら?」
エリスがそう答えると、エルデは開いた口が塞がらない様子だった。「なんて無体なヤツ……」といった内心の声が聞こえるようですらある。
彼女にしては実に珍しい反応だったが、アリスに憧れるエルデとしては無理もないだろう。
「修行の旅っていうのは……酔狂でもなんでもなく本気だったんだと思う。だから《頂》も、除籍にはしなかったんじゃないかしら。ともすれば教師陣にも比肩し得る、序列一桁台の生徒が──独自の研鑽に励むっていうのは、そんなに珍しいことじゃないのよ。出奔とも違うし──」
と、サイガの奔放さに場が呑まれかけていることに気付いて、エリスは意図的に咳払いを挟んだ。音の尾が、静けさの中に沈むのを待ってから……改めて言葉を続ける。
「彼女──サイガの行動に関してはここまでにしましょう。問題は、そんなことを公言するもともと序列一桁台の生徒が、半年間もの不戦敗によって、こんな位置まで降りてきたことよ」
そう告げると、弛緩しかけていた場の空気が、再び緊張を覆う。
「──正直に言うわ。マミナ」
自然と──エリスは表情が厳しくなるのを自覚する。
「サイガは、いま試技会に参加している全生徒の中で、あなたとの相性が最も悪い相手よ」
静寂の中、マミナが息を吞む音が聞こえた。
「……彼女の最大の特徴は近接戦特化。二戦目の相手も近接寄りだったけど……彼女は戦略的にそうしてた部分が大きくて、サイガの場合は最もそこが得意レンジだからそうする。この違いの意味は──分かるわよね?」
マミナは無言で頷く。
「サイガは彼女の比じゃないわ。これから本番までの約一か月。厳しい道のりになるとは思うけど──」
そこまで告げてから──思わずエリスが言葉を止めると、沈黙が重さを増した。
まるで、音のない責め苦のように。
すると沈黙を破り、マミナが静かに口を開いた。
「……エリスさんが『けど』って言うってことは……無理じゃない。諦めるには早いってことですよね?」
マミナが返してきたのはそんな言葉と……か弱い笑みだった。
こういうときに──彼女は笑う。それは周りへの気遣いであり、同時に彼女自身の強さでもある。
エリスは黙して、彼女の瞳に灯り始めた決意に対し、ただ力強く頷いた。
「……やります。相手が誰でも。《頂》に来るときに決めたんです。必ずここで、『一人前の操者』になるんだって」
マミナは静かに続ける。内なる不安を拒むように。
「アリスさんやエルデと出会って……試技会に実際に挑んで、練習したり、観戦したりもして……その気持ちは具体的な憧れになって、一層強くなったくらいなんです」
そこまで語ると、マミナは少し困ったような表情で語った。
「それに……エルデと約束しちゃったんです。アリスさん以外には敗けるな──って」
「あんた……そんなこと……」
不安げにこぼしたエルデにふわりと視線を向け、言葉を選ぶようにマミナは応じる。
「もちろん、それだけじゃないよ? この試技会っていう道。アリスさんっていう『頂』へと続く道。そこを一歩ずつ歩んで、この一年が終わった時に……そこには、どんな私が立っているんだろうって。そう思うの」
その真っ直ぐで穏やかな瞳を前にして、エルデは口をつぐみ、抗議の言葉を飲み込んだ。
エリスは──すぐには口を開かなかった。
マミナの言葉、そして、その瞳と意思に淀みがないのを、彼女を見つめながら受け止める。必要な時間だった。そしてその決意が揺らぐ前には結論を出す。
「……分かったわ。結果は保障できない。だけど、貴方に覚悟があるかぎり、わたしも絶対に匙は投げない」
三戦目にして訪れた正念場。
だが、マミナの決意に応えなければならない。彼女を導くものとして。
その想いを言葉に乗せるように、エリスは力強く告げる。
「これからのサイガ戦までの組み手は、基本的にわたしが相手を務めるわ。二戦目と同じで悪いけど……本番まで、常に時間は足りないと思って」
『はいっ!』
二人の生徒の凛とした決意は、体技室の静寂にこだまとなって──静かに溶けていった。
あなたもジンドゥークリエイターで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から