マミナの猛特訓が始まった。
 今回、主に仮想相手を務めるのはエリスになる。
 《頂》の公式記録上でのサイガの身長は176㎝。158㎝のエルデとは、リーチも打ち筋も違いすぎるからだ。なお、エリス自身の身長は172㎝とのことだった。これも、女性としては長身といっていい部類に入る。
 カシナート教室に所属して以降、実際に数回ほど手を交えたエルデから見て……エリスの得意とするインファイトの技術は『正攻法』だった。最短距離を正確に射抜く、直線的な軌道と理詰めの戦い方なのである。

 だが、それに対応できるだけではサイガ対策にはならない。

 エルデが、実際にサイガの試技を見た際に感じたことだが──

 サイガの基本的なインファイトの技術はもちろん高いのだが、それ以上に厄介そうだったのが……《頂》の外に度々出ては、荒い環境や実戦で鍛え上げたと思われる、その経験や嗅覚といったものなのである。

 マミナには、まるっきりといっていいくらい無いもの、足りないものだ。

 そのうえ、こういったものはカリキュラムだけで培うことが難しい。

 サイガのリーチや間合い、そして基本的な技術を、エリスが仮想相手として務めることはできそうだったが……それだけでは足りないのは目に見えているのだ。

 どうしても接近戦以外で、この力関係を打破する〝楔〟が必要になってくる。

 正直それは……エルデには、とても明るいものには見えなかった。

 マミナ自身も、おそらくそれは分かっている。

 だから必死に打ちこみ、転がされ、それでもなお立ち上がるマミナの姿に……エルデは胸中で、言葉にしがたい痛痒を感じずにはいられなかった。 

 

 そんなやり場のないもどかしさを吐き出すように──エルデはいったん目を閉じて、深々と嘆息したのち、ぽつりと呟いた。

「────で」

 続けて、体技室の片隅を半眼でジロリと見やると……

「なんで先輩がここにいるんです?」

 と、告げる。

 そこには、訓練する二人──というよりマミナの様子を、腕を組み、体技室の壁際から楽しそうに眺めているティティスがいた。さきほどまで、確かにいなかった筈なのだが。

 ティティスは、気のない視線をこちらに向けると……

「えー? だって開いてたし。わたし今日ぉ、自主学習扱いだし?」

 と、返してくる。

 その気だるさとは裏腹に、この状況を楽しんでいるのが表情を見ればわかった。

「……この空気感なら、普通はもっと遠慮とか配慮とかすると思うんですけどね? ティティス先輩」

 エルデが棘を隠さずにそう告げると、ティティスはきょとんと瞬きして、自分の顎に人差し指を添えると……上目使いで考え込むような仕草をする。もっとも、本当に何か考えてるのかは疑わしい相手ではあった。

 しばらくすると、ティティスは思いついたように手を挙げて、エルデにではなく組み手中のエリスに、白々しい声で呼びかけた。

「すみませーん、エリスせんせー。いま体技室って~、貸し切りなんですか?」

 稽古中でも会話は聞こえていたのだろう。エリスはピタリと動きを止めると、マミナにいったん止(や)めの合図をしてから、困ったような微笑でその質問に応えた。

「いいえ。別に貸切ってはいないわね」

「じゃあ別にぃ、わたしがここで見学してるのは問題ないですよね?」

「……そうね。わたしにそれを止める権限はないわね。止めるようにお願いくらいはできるけど」

「じゃあ、そうします? 栄光と歴史ある我らが《頂》の~、首席経験者の貴重な直接指導を~、間近で拝見できるまたとないチャンスなのになぁ~」

「そういう褒め殺しを止(や)めてくれるなら見学してていいわよ。好きなだけ勉強していきなさい」

「ありがとうございます。 エリス先生っ♪」

 エリスはティティスの当てつけを冗談めかしで躱すと、ちらちらとこちらを窺うマミナに呼びかけ、再び訓練を再開する。

「……だって」

 言質を取ったとばかりにティティスはこちらを見やると、どこか得意げな表情で言ってくる。

(この人もこの人で問題児よね……)

 先輩に対し、辛辣な感想を抱くエルデだったが……エリスがそれを許容するならと、渋々自身を納得させる。

 そんなエルデの心境を見透かしたかのように──ティティスは言葉をかけてきた。

「別に偵察とかそういうのじゃないから。少しは信用して欲しいんだけどなぁ~」

「……じゃあ、何が目的で?」

「さっき言ったでしょ? こんな貴重な機会を、貴方だけが独り占めだなんてズルいじゃない」

 そう言ってくつくつと笑うティティスに、エルデは心底胡散臭いものを見るような目で言葉を返した。

「……そういうところが信用できないんだけど」

「ん~? 金髪おさげちゃんって難しい子ねぇ。先輩としてはぁ、コミュニケーションに困っちゃうな~」

 と、やはりどこまで本気か分からない調子で、ティティス。

 エルデは、気持ちと思考を落ち着かせるようにこめかみを親指でこすりながら……この人物に、何をいっても無駄なのだと自分に言い聞かせ、思考を切り替えようとした。

 すると──

「……貴方も気付いてると思うけど」

 唐突に。これまでとはハッキリと違うトーンで、ティティスが言葉を発する。

 その変化に、思わずエルデが顔を向けると……

「このまま訓練を続けても、アイツには通用しないわよ」

 そう告げながら、細めた視線をマミナに向けるティティスの表情からは、一切の笑みが消えていた。

 アイツ──というのはサイガのことだろう。

 エルデは一変した彼女の様子に戸惑いつつも、これまでの軽口を意識の外に追い出して、彼女の言わんとせんことを推し量る。

「……わかってるわよ。きっと先生も、あの子も」

 

 季節はもう、春の気配が消えゆく五月中旬。

 そして一ヶ月後には──
 本格的な雨季と、サイガ戦の本番を迎える。

 


 

「あまり……無茶はしないで欲しいものだな?」

 それが──サイガが所属する教室の責任者、カレル・ロント教師の第一声だった。

 見た目はいかにも実直で中性的な男性、といった風貌で、線は細い。
 年齢は三十代半ばくらいだろうか。流石に四十までは届いていないハズだ。
 能力と地位で考えれば、《頂》の教師陣の中では比較的若い部類に入る。

 自分の勝手のせいで苦労したであろうことは確かなので、それなりに引け目も感じていたサイガではあったが……とりあえずその言葉には答えず、久々の教室内をそれとなく観察してみる。

 サイガが所属しているこのロント教室は、良くも悪くも手堅く、中堅の教室といったところだ。
 アリスのような花形は──流石に望むべくもないが、序列一桁の生徒すら現在は不在のハズだった。だが極端に序列が低い生徒もいない。見方を変えれば、個人の資質に依らず、安定した操者の育成に実績のある教室ともいえる。

 もっとも、それに不足を感じたことも事実で、自分が修行の旅に飛び出した一因でもあるのだが。

 室内には、同じく所属している生徒達も同席していた。

 というよりも、貴重な朝の時間を、自分のせいで費やしているというのが正しいのだが。

 この中では──隣にいるバネサが序列十番台半ばで、今の自分よりは上になる。

 自分が奔放しがちなせいもあって、別に親しい間柄というわけでもないが、別に仲良しクラブではないし、お互いそれを求めてもいない。ただ、彼女も《頂》の幼少組なので長い付き合いではあった。

 サイガがそんなことを考えていると──

「私の監督責任も問われているよ」

 と、サイガの態度に釘を刺すように、カレルは目つきを鋭くして言葉を重ねた。

 たんに言葉を選んでいただけなのだが、散漫な態度と受け取られたらしい。内心苦笑しつつ、さすがに黙っているわけにもいかなくなったので、サイガは口を開いた。

「責任っていわれても……実際に放任してると思いますけどね? いえ、わたしとしては有難いんですけど」

 お説教というほどの雰囲気でもない。流石に今回のような長期不在は初だったので、警告はしておく……といった程度のものだろう。我ながら、手前勝手な解釈ではあるが。

 サイガのそういった内心は見透かされたのか、カレルもまた、苦笑交じりに言葉を返してくる。

「結果を出すなら黙認するがね。打倒アリス──君なら果たせると、〝今回は〟期待してもいいのかな?」

「別に〝ボス〟のためにやってるわけじゃないよ。期待するのは勝手だけどね」

 とだけ、サイガは答えた。

 そして、教師のその一言に込められた意味を考える。

(それでもし、アタシがアリスを倒せれば……そのときはこの人の手柄にもなるわけだ)

 そして、別に自分が敗けても落ち度にはならない。

 この教師にとっては、自分を放置しておくことの方が、自身の益に繋がる可能性がある──所詮は、そういった打算の上に成り立つ関係だろう。

 そっちがその気なら、こっちもそれを利用させてもらうだけの話だ。

 サイガが胸中でそう巡らすと、相手はその気配も察したのか……

「君が序列一桁台に復帰すれば、教室の意気や評価も上がるのは確かだが……これは、君のためでもあるのだがね?」

 と、試すような口調でカレルが告げる。

 視線を机上に落とし、考え込むように顎に手を添えると、

「次の対戦相手は例の外来生の……マミナだったか。何かと話題の相手ではあるが、今の君の序列から、アリスに挑むために這い上がるには……ひとつの躓きも許されんぞ?」

 と視線だけでこちらを見やり、現状を確認するように続けた。

 すると、教師のその発言を受けて、バネサが思わず声をあげる。

「いくらなんでも……サイガなら大丈夫っしょ? あの子、理術は派手だけど、ステゴロはちょっと齧った程度のモンだったし」

 生徒のその言葉を受け、カレルはバネサを一瞥すると、

「フレデリック教室の生徒も、そう考えて落としたわけだ。同じ轍を踏むな、と言ってるんだよ。私は」

 いわれるまでもない──と、サイガは胸中で返す。アリスに挑むまで負ける気など一切なかった。

 いっぽうで、バツの悪そうな顔になったバネサは、誤魔化すようにこちらに矛先を向ける。

「心配性だなぁ、もう。サイガは格が違うっしょ? まぁ……アンタの修行の成果。楽しみに見学させてもらうよ。この間のサリーナ戦みたいに、すぐに終わりそうな気もするけど」

 と、バネサは最後に、こちらの肩をポンと叩く。

(勝って当たり前の試合……か)

 一連のやり取りを受け、サイガは胸中で一人こぼす。

 アリスに挑むまで、そしてアリスにさえも負ける気はない。それは確かだ。

 だが──例のマミナという外来生。

 この目で直接観た二戦目と、つい先日の観戦席での様子を思い浮かべると……理由は分からないのだが、不思議と楽観する気にはなれなかった。

 虫の知らせ、あるいは直感とも言うべき引っ掛かりだが……サイガは何よりも、そういった自身の感覚こそをアテにしている。

 その僅かな引っ掛かりが、思わず口から零れた。

「……みんなが思ってるほど、あの子が容易な相手だとは思わないけどね」

「え?」

 怪訝な表情を浮かべたバネサ達と、ただ無言で真意を推し量ろうとするカレル。

 その視線を受け止め、サイガは笑う。

 まぁそれでも──

「もちろん、負ける気はさらさらないけどね。ひとつも落とせないのは事実だし」

 とだけ答えた。

「結構」

 その言葉を受け止めて、カレルが立ち上がる。

「私から君に、今更アドバイスもないが……立場上、もう一つ言っておくことがある」

「……なんでしょ?」

「《頂》の理念は?」

「……は?」

「応えたまえ」

  淡々とそう告げた教師の質問に、他の生徒は顔を見合わせ、サイガは記憶をまさぐり、答えを引っ張り出した。

「『知は人の利』、です」

「分かっているなら結構だ。私がこれから君に与えるものといえば、この半年間の空白で堆積し続けた、座学の単位と課題だな」

 と、教室の一角にある、半年分の未提出文書や分厚い教本が、山のように積まれた座席を視線で示す。 

「君は操者として実にユニークだとは思うが──戦い以外のことも、テキストから学びたまえ」

「あ、そういうこと……」

 サイガは乾いた笑みと、ゲンナリとした心境でその言葉を受け止める。

「言っておくが、皆やっていることだよ。なのに君だけ、自身のことだけに明け暮れ、技と力を磨き、勝ったところで……それは公平だと果たして言えるのかね?」

 教師に正論で刺され、ぐうの根も出ないサイガに対し、教師は半年間の尻ぬぐいのお返しだと言わんばかりの笑みを浮かべて、最後に告げた。

「君はまず、《頂》の生徒であるということを思い出し、自覚したまえ」

 


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