「なんであんなのに、好き放題やられてんのよっ!」  

 見学席からエルデの怒鳴り声が響く。

 そのあまりの声量に──試技中にもかかわらず──マミナはもちろん、相手の生徒すら怪訝な表情で動きを止めた。 

「私に勝ったアンタがあんなのに負けたら……私の立場がないでしょーがっ!」 

 場内は、立会人や教師も含め、全員がその声の主に目を向けている。

 その視線に気づいていないのか、あるいはもはやどうでもいいのか──エルデは心の犬歯をむき出しにして、更に言葉をまくし立てる。 

「勝ちなさいっ! 私のために! 意地でも!」  

 エルデの罵倒ともとれる内容は、当然相手にも聞こえている。

 そのあまりと言えばあまりの内容に、相手生徒は舌打ちし、呆れた表情で悪態をついた。 

「……ったく、好き勝手吼えんなよ。負け犬が」 

 怒りというより、興が削がれた不快感の方が大きいようで、左手を首の後ろに添えながら、エルデの方を睨(ね)めつけている。
 だが、その一方で……

 エルデがこの試技に差した水は、マミナにとって、一杯一杯だった思考に対する冷や水となっていた。 

 まるで、冷たい水で顔を洗った時のように覚めた心地になったマミナは──最初こそ、普段のエルデの言動とのギャップに困惑し、ただ唖然としていたが……
 こんな状況だというのに、次第に笑みが零れてしまう。 

 エルデは、要は自分に「勝て」と言っているのだ。
 ……言い方はともかくとして。

 その不器用なエールは、マミナの心身に確かな活力を与え、心の流れは、次第に決意へと変わっていく。 

「スミマセン」 

「……あン?」 

 唐突にマミナから出てきた謝罪の言葉に、相手の生徒が怪訝な表情で反応する。

 マミナは、湧き上がってきた強い気持ちを──自身に言い聞かせる思いで口にした。 

「……負けられない理由ができました」 

 ここで簡単に負けたら、ずっと稽古に付き合ってくれたエルデに合わせる顔がないのだ。

  

 ──長い沈黙。
 先ほどエルデがもたらした、場内の喧騒も沈んでいく。

「……そうかい」
 自分の言葉と表情に警戒したのか、あるいは単に気に障ったのか。

 瞳を閉じて嘆息し、相手はそう呟いた。
 やがて静かに……こちらを見据える相手の、刃物のように冷たく鋭利な眼光が、まるでスッと音を立てるように投げ出される。
 その剣呑な気配に、マミナの脳裏に警鐘が鳴った。

「理由なんて、最初(ハナ)から用意しときな」 

 そう告げると、相手の生徒は再び構えた。 

 

 相手に倣うように──自身も構え直したマミナは、試技の開幕時と同様、再び理術の構成に入る。

 いま自分が制御できる理術は、そう多くない。だからできる限り早く、もっとも扱い慣れた術で──

 だが、相手は機敏に反応し、先ほどより一段と速く間合いを詰めにくる。
 ──やはり、最大限に警戒されている。 

「ディーヴァの炎っ!」 

 ただし今度は先手を取った。

 突き出したマミナの右手から、大気を加熱させる音と共に、白炎が一直線に伸びていく。 

「消えなっ!」  

 だが、速さを優先したマミナの術は、相手の一声により発動した術……さほど大きくもない力場の壁に、いとも簡単に阻まれてしまう。この速度で自分が成せる術の威力では、容易に防がれてしまうのだ。

 今の自分に、この構図は崩せない。

 直撃をとるには──工夫がいる。 

 

 互いの距離が、再び近接圏内(インレンジ)へと近づく。

 マミナは、突進してきた相手の動きを──再び滲んできた恐怖を抑え込み──しっかりと見据える。

 相手は、右半身をやや下げた斜めの体勢で突進してくる……のは今までと同じだが、腰だめに構えた右手の向きに違和感がある、重心も低い。それは開始時のような拳打ではなく、まるで跳躍するための──

 次の瞬間、マミナまで残り二メートル半といった距離から、相手は全力で踏み込み、大きく跳躍しながら右の飛び蹴りを繰り出してきた。まだ届かないと思っていた距離から意表を突かれたマミナは、顔の左側に飛んできたその蹴りを、バランスを崩さずに両手で受けるのが精一杯だった。鈍い衝撃音が鼓膜を叩く。

 そして次の瞬間──
 どう動いたらそうなるのか。マミナには理解できない力学で相手が空中で身を捻ると、まだ滞空しているにもかかわらず、左の回し蹴りが襲ってきた。跳躍の勢いと、体重、回転まで加わった二撃目を、ガードの上から叩き込まれる。

  距離を潰しながら飛び込みの二連脚──
 だが、開始時のように転倒するほど崩れてはいない。

 マミナはフラついた身体と意識を懸命に立て直し、なんとか相手を見失うことなく視界に捉えた。相手の生徒は、さほど距離の離れていない位置に着地し、次の動作へ移ろうとしている。
 その相手の顔に──マミナは、さほど力をいれずに右の平手を放った。

 平手なのは、予備動作が殆ど不要だからだ。当たらなくてもいい。出した手を掴まれないことだけに注意する。

 初めてマミナから手を出された相手は──わずかに警戒の色を浮かべ、頭を引くだけでその一撃をあっさりと避ける。息遣いすら感じる距離だった。

 マミナは、すぐに返す平手の裏で、再度相手の顔を狙う。

 エルデなら──この二撃目にも平気で割り込んでくるのだが、幸い相手は、マミナの攻撃は一切受け付けないとばかりに防いでくれた。

 重要なのは、ここで防いだ相手の手だった。

 ガードに使ったのは左手。次の瞬間、相手は右の強打で反撃してくる。

 ここでマミナは、右の肩甲骨を外旋させ──同時に右足を強く蹴り出し、身体を大きく反転(ターン)させた。

 軸になるのは左足。
 首の回転は極力早くして、相手を視界から切る時間は、最小限に抑える。

 突き出された拳と、相手の身体よりも外側へと──弧を描くように移動し、再び右足をついたときには相手の背中をとっていた。 

 

 お手本のような裏回り。だが達成感に浸る時間はない。 

 相手の背後を取ったマミナは、すぐさま相手の右肩を左手で掴み、自身の方向へと引く。

 相手はバランスを崩さぬよう──反射的に身体の向きと重心を変化させる。

 マミナは、こちら側に露出した相手の右腕を、右手で掴んで肩に担ぎながら──重心が移った相手の軸足を、右足の側面で勢いよく払った。仕掛け方こそ違うが、エルデが最初の組み手でマミナに仕掛けたものと狙いは一緒だ。

 支えを失った相手の身体を背中に乗せ、そのまま抱え込むように──自身の身体を後方へと捻り、その勢いのまま相手を地面に放り投げる。 

 ──変則の背負い投げ。

 相手の身体は見事に一回転しながら滞空したのち、背中から地面に落下する。

 背中が地面に激突した瞬間、鈍い衝撃音と振動が、波紋のように広がっていった。  


 それに連鎖するように広がる、会場内の驚愕の気配。 

 だが、相手の生徒は仰向けに倒れた状態から……腕と背中と脚の反動を使って、バネのように跳ね起きた。

 あっという間に体勢を立て直し、こちらを向く。

 その表情には……この試技で初めて受けた反撃に対する驚愕と困惑。やがてその色が──屈辱に変わっていくのがハッキリと見て取れる。

 彼女は目元を引きつらせ、深く、うめくように呟いた。 

「モブ野郎のくせに……」 

 滞空時間が長かったせいで、受け身は間に合ったのだろう。

 本当は地面に叩きつけるようなイメージで仕掛けたのだが、マミナの技量では──相手の体重を完全には抱えきれず、すっぽ抜ける結果になってしまったのだ。

 外から見る限り、動きに支障はなさそうだったが、まったく効いてないという可能性は……この際、考えないようにする。 

 マミナは冷静に──追撃しようと、再び理術の構成を編み始める。

 さすがにその気配には敏感に反応し、相手はすぐさまこちらに飛び掛かってくる。 

 先ほど投げられた影響なのか、速度は落ちていないが……攻撃そのものはシンプルだった。

 こちらの手の届くギリギリ間合いの外から放たれた牽制の左を、一歩下がって避ける。

 ──エルデよりは遅い。

 こちらが下がった分だけ出来た距離を利用するように、間髪入れず踏み込んで放たれた右の正拳を、右に──相手の身体の内側に入って外す。際どいところでマミナの左耳のすぐそばを、拳圧が通り過ぎた。

 基本的なワンツーだからこそ分かる。 

 ──これもエルデより遅かった。 

 傾いた上体を引き戻す反動を利用して、マミナは相手の胸部に左の肘を突き出した。

 が、これは相手の左手に阻まれる。だが、相手の前進と動きを止めることはできた。

 

 生まれた思考の余白は、先ほど編みかけた理術の構成を維持している。

 次第に相手の表情に浮かぶ焦りも、マミナは冷静に捉えていた。 

 来る──! 

 この攻防に焦った相手の、下から抉るような左強打を──両手で一旦止めてから横に流し、続く頭を狙った右フックは、完全に身を屈めて避ける。

 目の前に露になった相手の胴体に目掛け──マミナは低い体勢から、屈伸した身体を伸びあがらせるように、両の掌(てのひら)を全力で叩きつけた。 

「──ここでっ!」 

 バランスを崩し、地面を靴底で擦りながら後退する相手に対し、一拍遅れてマミナが発したその言葉により──編んでいた構成が意味を成し、両手から力が解き放たれる。

 手元で白い炎が円を描き、その中点で加熱した空気が、弾けるような音と共に目の前の空間を破裂させた。

 相手は、咄嗟に防御用の構成を組み立て、投影しようとする。

 だが、破裂した空間のみに留まった術の威力は、相手に届くことなく虚空へと消える。

 その状況に、互いの瞳孔が見開かれた。 


 ──今のタイミングでは遅い。 

 マミナは胸中で、自身を叱責する。 

 攻撃がまったく通らずに腹部を強打され、反撃を受けたかと思えば空振りした理術。

 そのチグハグさと意図がまったく分からず、組みかけていた防御の術を霧散させ、困惑に顔を歪めた相手の姿が目に入る。 

「……おちょくってんのか? テメェらは」 

 エルデも含めて、ということだろう。相手生徒の感情が、静かに沸点に到達する気配。

 その気配に──意気が挫かれそうになる。そう都合よく、気持ちを強く保てるわけではない。
 それほど自分は……強くない。

 限界まで酷使した集中力に、必死についていこうとする身体は悲鳴をあげ、震える足は止まってくれない。
 汗と共に吹き出してくる弱気に、飲み込まれそうだった。

 そんな自分に、先ほど喝を入れてくれた存在を──縋るような思いで──再度意識する。 

 エルデの声がした方向──今はちょうど、相手の真後ろだ。
 ここからでは距離があるので、ハッキリとその表情までは伺えないが……

 きっといつものように憮然とした表情で、眉をひそめ、口を尖らせ、「なにやってんのよ」と言いたげに、こちらを見守ってくれているに違いなかった。

 

 ──笑えば、きっと、もっとかわいいのに。 

 これを言ったら、またエルデは不機嫌になるだろうか?

 そんな場違いなユーモアが頭に浮かんだ。

 それはマミナをリラックスさせ、思考と身体を自然体へと近づける。

 半目がちに、感情を抑えこんでるような表情で……興味なさそうにしてるのに、いつもしっかりこっちを見てて、組み手稽古では──なんだかんだでちゃんと手加減してくれる。

 今日だって、こうしてダメダメな自分を叱責し、発破をかけてくれた。

 まだほんの、たった三週間の付き合いだけど……自分にとって、すっかり憧れになった同期のクラスメイト。 

 エルデと相対したこの三週間は、いままで経験したことがなかったくらい新鮮で……もちろん色々と痛かったし、凹みもしたのだが、それ以上に楽しかったのだ。  

 ひょっとしたら、エルデは気付いていないかもしれない。

 最初は憮然として、倒れた自分を待つだけだった彼女の手は──今では時折、自分の手を掴んで立ち上がらせてくれるようになっていた。
 やさしい言葉は……未だにかけて貰えてないが。 

 

「……なにニヤけてんだ?」

 こちらを探るような相手の声に、視界の焦点が引き戻される。

 時間にしてみれば数秒だろうか?

 上がった息は収まらないが、思考だけは落ち着いてくれた。 

 静かに息を吐き、マミナは今日の試技で、一番自然な形で理術の構成に入る。 

「……ハッ、させるかよっ!」 

 結局それか?
 ──というように、相手は失笑し、瞬時に間合いを潰しにくる。

 今日はこれで、何度目だろう?   

「懐にさえ入れば、テメェはトーシロ同然だ! 怖くねぇ!」 

 堆積したフラストレーションを、吐き出すように相手が吼える。

 だが近接戦を仕掛けた生徒は、先ほどまでと違う変化に表情を変えた。 

 マミナは構成を維持しながら──相手を見据え、大きく後方に跳び退いたのだ。

 子気味よく靴底が地面を叩く音と共に、一歩目で大きく跳躍し、続く二歩目で──さらに後退しつつ乱れたバランスを立て直す。

 とはいえ、それほど距離が開いたわけではない。せいぜいニメートル前後といった後退だ。

 そして、跳び退くマミナの速度より、距離を詰めにくる相手の方が速い。

 この状況だと、距離的にはあまり意味がない。だが──

 時間的には意味のある行動だった。 

 マミナが初めて見せた選択に対し、相手にも判断が迫られる。

 追うべきか、留まるべきか。

 一瞬の逡巡──相手生徒の表情に、はじめて躊躇や迷いが生じる。

 相手は、マミナが先ほどまでいた位置に到達すると……意を固め、マミナが作った距離を再び潰すように──さらに深く踏み込んできた。踏み込んだ相手の足元が、ジャリっと乾いた音を立てるほど、鋭く、速く。 

 相手の前進を見届けたマミナは── 

 たんっ!と靴で地面を蹴り出し、今度は前方。相手に向かって疾駆する。

 せっかく作った間合いを自分で潰す──相手からしてみれば、ありえない行動だった。 

 見開かれたその目に、驚愕の色が浮かぶ。 

 相手の不得手な部分を徹底的につく──その固定化した思考を利用して、行動を絞らせ、マミナはこの状況を誘い出したのだ。 

 ──至近距離に呼び込んでからのカウンター狙い。
 その意図に気付いた生徒は、反射的に突進した勢いに制動をかける。自身の迂闊さに舌打ちし、一撃くらいは甘んじるという相手の覚悟が、歯を食いしばる表情から伺えた。

 今までの接近戦のやり取りで、マミナに相手の意識を一撃で奪うような……腕力も技術もないのは分かっているのだろう。
 一撃なら耐えられる、と。
 

 だが、マミナの術は既に完成し──

 あとは発動の意思と、言葉を待つ状態に入っていた。

 

 試技開始時のコンタクトは完全に失敗していたが……それ以降、マミナはずっと測っていたのだ。マミナが理術の構成を組み始めて、それを相手に妨害されるまでの時間。この展開速度で出せるギリギリの威力。重要なのは、必要な威力と、それを引き出すまでにかかる時間の見極めだった。 

 後退したマミナに対し、相手がどんな選択をしても……マミナの狙いは決まっていた。

 ──体術ではなく、理術によるカウンター狙い。

 初めから、理術でなければ倒せないのは分かっていたのだから。 

 マミナが退いたのは、理術の構成を成し、威力を「決定打に必要な純度」まで高める時間を得るため。

 そして前進したのは──相手が、防御のための術を組むのに、十分な時間を奪うためだ。 

 決して目を見張るような速さではない。だが丁寧な足運びで、滑るように前進したマミナの眼前に迫った相手は……せめて意識だけは刈り取られまいと、懸命に頭部を庇っている。その両腕の隙間から見える表情を、屈辱と怒りに歪ませながら。

 

 もう後がないという集中力が、マミナの知覚を限界まで引き延ばしていた。

 

 操者としての理想──それは、常に自身を制御しなければならない。 

 それは、理術だけに限った話ではなく、心身を含めてということなのだろう。

 まず、己自身の心と身体を意のままに操る──制御する。それが《操者》としての第一歩なのだ。

 マミナは、自然とそれを理解しはじめていた。 

 その時── 

「この……っ、モブ野郎があぁ!!」 

 相手の生徒の雄叫びが、マミナの意識に割って入った。

 その咆哮と、交差していた腕を大きく開くような動作とともに──本能任せの構成が解き放たれる。

 ──自分を守れと。

 このわずかな時間で術を成せるのは、《頂》に身を置き、学んできたものの意地なのか──

 円形の力場の壁が、マミナの侵入を拒むように展開された。

 

 言葉には想いを乗せられる。

 そして理力は、「想いの力」に左右される。 

 理力が感情の強度に左右されるのなら……
 マミナは、この試技で強く感じた引っ掛かりを──皮肉にも──その相手の咆哮で思い出した。

 試技中、どうしても反論したかったその衝動を、その意気のまま口にする。 

「私っ……」 

 理術を用いるなら、その引き金(トリガー)となる言葉には、想いを乗せられる。

 強い気持ちは、確かな力になる。 

「『野郎』じゃ……」 

 マミナの右手に理力が熾(おこ)る。

 その不可視の力を、右肩を引くように大きく振りかぶり── 

「ないですっ!」

 右の掌打を相手の身体の中央へ。

 その一言を触媒に、マミナは……全力でその一撃を押し込んだ。
 

 理力を練ることなく形成された相手の術では、その威力を防ぐことなどまったくできず……まるでガラス細工のような音をたて、その意地ごと砕け散る。
 そして、マミナの掌が相手の腹部に届いた瞬間──
 まるで時間が止まったような感覚を会場中が共有した直後、その接点を中心に、大気が円形に大きく弾けた。一拍遅れて、その大気の波紋を突き抜けるような衝突音が鳴り響く。
 相手の、驚愕に見開かれた目と揺れる瞳孔。

 至近距離から理術の直撃を受け、その身体は成す術もなく、大きく後方へと弾き飛ばさる。マミナの掌から広がっていく白炎の渦が、その破壊力の残滓を残していた。

 胴体を穿った理術の威力に身体を折られ、数メートル後方にまで吹き飛ばされた相手の生徒は、もんどりうって地面を転がり──まるで、糸の切れた人形のように──そのまま動かなくなった。 

 

 

 その壮絶な光景に、会場全体が息を飲む。  

 もし、マミナが初戦で見せたような──全力で術を放ったのだとしたら、相手の生徒はまず助からない。
 あんな威力を、まともな理術の防御もなしに受けたら無事に済むはずがなかった。それは、当事者だったエルデはもちろん、マミナの初戦を観た操者なら、誰でも連想するものだ。 

 マミナは肩で息をしながら、まだ相手が立ち上がるのではないか──と、油断することなく残心……といえば聞こえがいいが、どちらかといえば恐怖に怯え、緊張した面持ちで相手の様子を見守っていた。相手に向けたままの右手が震えている。

 結果的に貫いたとはいえ、相手が防御の術を挿し込んできたのは、驚愕に値するものだったのだ。
 これでダメなら── 

 沈黙の中、立ち合いの教師が相手生徒の状態を確認する。生徒の傍で跪き、まずは呼吸、次に意識。そして頸部に指をあて……

 暫くして教師は立ち上がると、試技の終わりをその場で宣言した。 
 

『勝者……マミナ・アイギス!』

 


 

 会場内に、困惑と、まばらな拍手。

 緊張と警戒をようやく解いたマミナは、心身共に疲労困憊だったが……それ以上に沸き上がってきた衝動に背中を押され、この結果に導いてくれた級友の元へと自然に駆け出していた。 

「エルデさんっ!」 

 マミナは、成果と喜びを表現するように大きく手を振り、試技場区画から観戦席のエルデに向かって声をあげた。

「……え?」 

 試技の結果と、そんなマミナの行動に虚をつかれたのか──
 珍しく素の反応を返したエルデに対し、マミナの口角が自然と上がる。

 マミナは顔をほころばせ── 

「勝ちましたっ! エルデさんのおかげです!」 

 満面の笑顔でそう告げた。 

 

 自分に向けられた、そのまったく含みのない──ついでにいえば見ればわかる──報告と、その笑顔にどう応えたらいいのか。

 反応に困ったエルデの頭に、ふと、ひとつの感想が浮かぶ。

(それ出来るんなら、最初からやりなさいよね……) 

 こちらを見ているマミナは、結果的には理術の直撃こそ受けていないが……あちこちが擦り傷だらけで、服も酷い有様だ。

 エルデは目を閉じて小さく嘆息すると、内心呆れつつ──この娘には飾らず、思ったことをそのまま告げたらいいのだと気付いた。


 エルデは両手を腰にあて、少し大げさに胸を反らし、マミナにつられるように口角を上げると…… 

「……知ってる。感謝しなさいよね?」 

 ──と、満足そうに言い放った。

 


 

 試技が決着を迎えた中…… 

 その結果を見届けたティティスが、満足そうにその場を立ち去ろうとしたとき──見学席の最後方にいる、背の高い少女が目に付いた。

 試技場から出る通路の横に、わざわざ陣取っているのは狙ってのことか。

 彼女の性格ならやりそうではあったし、逆にそういったことを考えるタイプではないともいえた。単に、そこから入ってきてそこにいる、というだけだろう。

 彼女の横を通り過ぎる際、気まぐれに話しかけてみる。今の自分は気分が良かった。 

「……戻ってきてたんだ。今回の『しゅぎょーのたび』、どうだった?」 

 自分に声をかけられたのが意外だったのか、彼女は一瞬だけ目を丸くしたが── 

「まぁ……ボチボチ、かな?」 

 ──と、言葉の内容とは裏腹に、自信に満ちた笑みでそう答えた。

 それほど話す間柄ではないが、無碍にするほど知らない顔でもない。何せ、彼女は《頂》でも目立つ。

 まぁそれは、相手も同じことを思っているのだろうが…… 

 身長は、百七〇台後半といったところか。

 女性としては大柄だが、その長い手足と、闘うためだけに鍛え上げたような一切無駄のない身体つきのせいか──厳つさとは無縁の風貌だった。肩まで伸ばしたクセのない黒髪をレイヤーカットにしており、その暗灰色の瞳と併せ、彼女の持つ野性味に、ある種の女性らしさを残している。

 だが、着ている服は──お世辞にも色気はなかった。
 いたる所が擦り切れた黒いカーゴパンツに、洗濯だけはしているといった程度の清潔感しかない黒い半袖のシャツ。控え目にいってもみすぼらしい……とティティスは思ったが、まぁ別にその辺りはどうでもよかった。単に彼女が、ぬるま湯のような生活をしていなかったという程度の指標でしかない。 

 観察にも飽きて、そのまま立ち去ろうとするティティスの耳に聞こえるように──わざとだろう。おそらく──彼女は言葉を落とす。

 
「久々に帰ってきたら、今年の外来にはおもしろいのがいるね」 

 その少女は、不敵に笑っている──

 それは、ティティスには見ないでも解っていた。

 


 

 昼下がりというには下がりすぎており、日没までにはまだ時間を残す──そんな春の夕暮れの色が、空に映し出されている。

 

 《頂》敷地内の広大な運動場。
 その一角にある草場の日陰に、横になっているマミナと、座り込んでいるエルデ、二人の姿があった。

 先ほどまで試技が行われていた《屋外試技場》の姿も遠目に見えるが……今は、その喧騒も沈んでいる。 

 あれからマミナは、医務室で試技終了後のメディカルチェックと治療を受け──試技のある日は、他の授業や講義は基本的に入らないので──なにをするわけでもなく、体力と動き出す気力の回復を、ただここでぼーっと待っていた。
 草場に寝転ぶことで服が汚れることも、気にならない訳ではなかったのだが……既に汚れているので、今更だろう。
 たまにそよぐ風が汗を乾かし、身体を預けられる地面の誘惑は強かった。

 エルデは、そんなマミナに特に話しかけてくることもなく、マミナの近くに腰かけ、ただ待ってくれている。

 一度だけエルデに大丈夫なのかと聞いてみたのだが──

 『別に……他にやることもないから暇だし』、の一言で片づけられてしまっていた。 

 マミナも、疲労のせいかあまり余力がなかったので、寝転んで、空を眺めたり、エルデの様子を伺うような状態が続いている。

 ただ、瞼を降ろしても感じられる、エルデの気配は心地よかった。 

 すると── 

「──あまり前例ないらしいし、同教室ならなおさらだと思うんだけど」 

 エルデが突然、口を開く。あやうく聞き逃すところだった。 

「……もしアンタとアタシがこのまま全勝して……まぁ仮に、最後の方でアンタがアリスさんに負けるでしょ? そしたら、一敗同士で最後に決定戦、なんて展開もあるじゃない?」 

 途中、さらっと酷いことを言われた気はしたのだが……自分があのアリスに挑む姿というのがまったく想像出来なかったので、ただその言葉だけを受け入れる。あまりに現実味がない話は、かえって他人事のように感じるのかもしれない。

 ただ、エルデが伝えたいことは──なんとなく、分かる。 

 

「それまではもう、アタシは負けない。その時に……アンタとの決着、つけるわよ」 

 マミナは目を丸くし、胸中でその言葉を反芻した。
 これもまた、エルデなりのエールなのだ。

 自分は負けないから、アンタもアリスさん以外に負けるな──と。

 マミナがエルデのその言葉に胸を打たれていると…… 

「ああ、それと……」 

 思い出したように、エルデが続けた。 

「いちいち『さん』付け要らないし。別にいいわよ。呼び捨てで」

 それはマミナにとって、思いもよらぬ提案だったのだが……
 マミナは、そっと自身の上半身を起こし、エルデに伝える。

「でも……エルデさん、操者として大先輩ですし」

「妙なところで律儀ね。敬意を忘れないのは立派だけど、そもそも同い年だし、これから同じ教室でやっていく……生徒同士でしょ?」

  そう言うと、エルデは口を尖らせ、わざとらしくそっぽを向いて

「堅苦しいのは嫌いなの」 

 だからアンタの意見は却下──と、マミナの頭にその意図が続くように告げられた。 

 こうなると、エルデの歩み寄りを無碍にはできない。それができるマミナでもなかった。

 マミナは、その語感を確かめるように口にしてみる。 

「エルデさん……じゃなかった。エルデ……うん、エルデっ!」

「なんか急に馴れ馴れしいわね……ちょっと、なにニヤけてんのよ」

  エルデはいつもの半目で、こちらの身体を軽く小突いてくる。

 そんなエルデの反応すら、マミナには心地よく…… 

「……嬉しくってつい。えへへ」 

 などと素直に言葉を返してみた。

 エルデは、一瞬だけそんなマミナの様子を眺めたあと……顔を背け、目を閉じる。

 しばらくすると、やがて観念したように短く嘆息し── 

「失敗したかしら。なんかちょっと、ムカつくわ」

 と、苦笑いしながらそう呟いた。

 先ほどからエルデの口調が、初めて対面した時と明らかに違うのだが……そのあまりの馴染みっぷりに、エルデはこっちの方が地なのだろうと、認識を改める。マミナにとってはその程度のことだ。 

 事実、試技に勝ったことよりも──
 エルデが認めてくれたことの方が、嬉しかった。