エルデの試技会二戦目。
舞台はいつもの《屋外試技場(アリーナ)》ではなく、《頂》の校舎内にある屋内の試技場で行われていた。
この試技場は屋外試技場よりも狭く、自分達もお世話になっている体技室と、よく似た構造となっている。
マミナは見学席の前の方に陣取り、その試技を観戦していた。
先日行われた、マミナ自身の二戦目に向けた組み手稽古に〝かかりっきり〟だったエルデが心配で──いざとなれば、自分もエールを送るつもりで観戦にきたのだが……
それは、杞憂としか言いようがなかった。
相手は序列二十五位の生徒なのだが……エルデは理術戦でも近接戦でも、常に冷静に、しかも余裕をもって対応している。操者としては、まだまだ経験の浅いマミナの目から見ても分かるレベルで。
その実力差は明白だった。
緊張と疲労に、汗を滲ませる相手の生徒が──意を決し、床を踏み鳴らしてエルデに駆け寄る。決して遅くはない。
だがエルデは、次々と繰り出される相手の手を、脚を、無理なく受けとめ、時には流す。
その洗練された挙動は、まるで格闘術のそれではなく、舞踏のような美しさだとマミナは感じた。
そして、マミナがそんなことを思っていた次の瞬間には──
エルデが、手出しした相手の右手首を掴み、自身の方へ引き寄せる。
その動きに迷いはなく──そのままエルデの右肘が、相手の胴へと深く打ちこまれた。
思わず、見ていた自分も打たれたかのような錯覚を覚える。
踏み込む脚、上半身の捻り。その膂力を伝える一連の動きに、まったく無駄がない。
たったあれだけの動きで、なぜ相手があそこまで飛ばされているのか……マミナには、うまく理解出来なかった。
ほんの一瞬でも目を離せば、次には状況が変わっている応酬に、瞬きすら忘れていたことに気付く。
だが相手の生徒も、転倒はしたがすぐに復帰し──ひと息の間合いから離れた両者が、互いにお見合い状態に入る。この距離だと、二人とも理術を警戒する必要があるからなのだが……
すると、エルデが何らかの構成を編んだのが一瞬だけ視(み)えた。
マミナがそれを認識した次の瞬間──パチンと乾いた音が、マミナの耳に届く。
その音が何なのか、すぐには分からなかったのだが……その軽快な音が鳴った一拍後に、相手の立っている場所の頭上から、地面に向かって光が走る。まるで小さな落雷のように。
マミナはそれを見た瞬間、さきほどの音が、エルデが──おそらく右手の──指を鳴らした音なのだと気付いた。
ここからでは、予備動作など視認できるものではない。
実は──
理術を扱う際に使用する存在の接点。
つまり、理術発動の際のトリガーとなる『音』は、なにも言葉でなくてもよかったりする。
手拍子や、エルデが今しがたやったような指を鳴らす行為。
要するに、その理術を扱う『操者が発する音』でさえあれば発動できるのだ。
ただし、言葉と違って『意気』や『意味』といったものが乗せられないため、複雑なものや、規模の大きな術には使用できない。普通は、照明目的の光源を生み出すとか、小さな火を熾すといったような、日常的なことで使用される程度のものなのだが……
完全に不意を突かれた相手の身体が、意思とは無関係に一瞬だけ跳ねる。
それは、強い静電気が突然身体を流れる時と、同じような痛覚だったのだろう。できれば避けたい類(たぐい)のものではある。
決して耐えられなくはない、だが無視も出来ない生物的な反応を引き出したその術は──
相手の隙を生み出すのには十分だった。
既に間合いを詰め始めていたエルデは、残った距離を埋めるように──軽く跳躍してからの中段蹴りで、相手の腹部を貫き、着地と同時に相手の側面、続いて右肩へと次々に脚を浴びせ……体勢を大きく崩した相手の戦意を、右の上段回し蹴りで鮮やかに刈り取った。
息を飲むほどに流麗な四連脚──
普段の組み手や、この試技を観て、マミナが改めて感じることなのだが……
おそろしく「器用」なのだ。エルデは。
以前、師であるエリスに、マミナの操者としての特性を分類するなら、その長所は理力の大きさに依る威力。つまりは一撃特化型なのだと評されたことがあるのだが、エルデを評するならバランス型。それも万能型(オールラウンダー)だ。
少なくともマミナはそう思った。
マミナは、エルデが《頂》の頂点──アリスを目標としている事を改めて意識する。
心技一体。操者としての理想形。その体現者。
相手の力量をすべて把握し、完全に見切った上で勝負を決めに征く。
自分やエリス以外と手合わせするエルデを、初めて外からみたマミナだったが……改めてその実力に、敬服するより他なかった。
消沈した相手の降参と共に、エルデの勝利を告げる立会人の宣言が、室内にこだまする。
マミナの心配も他所に──エルデは自身の二戦目を、誰の目からみても〝快勝〟で飾った。
時を同じくして、別の試技会場。
その試技の内容と結果に、場内は、異様な静けさに包まれていた。
それは静寂というよりも──沈黙。
序列十一位の生徒を文字通り〝圧倒〟したティティスは、まだ辛うじて意識を繋いでいた相手に対し──その小悪魔的な声音(こわね)と、どこか妖艶な笑みを浮かべて告げる。
「ゴメンね? 今日は調子いいみたい」
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Episode 3. 視線
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梱包から取り出したばかりの制服には、まだ畳まれた跡がくっきりと残っている。
その真新しい生地からは……改めて始まる日々の予感が、ふわりと香るようだった。
光の加減で表情を変える、深く落ち着いたチャコールグレーの制服の色を──まるで神秘を湛えた湖底のようだと、マミナは思った。
一切の華美を排した、しかしどこか厳かな美しさを秘めるその色は、《頂》が培ってきた歴史そのものを、物語っているように感じたのだ。
指先でそっと生地をなぞると、まだ糊のきいた、パリッとした感触が返ってくる。
既に、一緒に届いた白いブラウスと、上着と同じ消炭色のスカートに着替えていたマミナは──
いちど襟元のタイを正してから、その制服にゆっくりと袖を通す。
肩から腕へと滑り落ちる生地が、するりと控えめな衣擦れの音を立て……ひんやりとした感触と重みが、ブラウス越しの肌に伝わる。
くすぐったいような、それでいて背筋が伸びるような、不思議な感覚が胸に広がる。
つい先日まで身につけていた、中等部時代のセーラー服とは違う──どこか古風で、上品なボレロ型の制服。
特徴的なのは、袖口に向かって広がり、全体的にゆとりのあるベルスリーブの形状だった。
ゆったりと広がる袖は、物語に出てくる魔女や、魔法使いのローブを彷彿とさせ、それは《頂》の神秘的で、どこか非日常的な部分を想起させる。
次にマミナは、自身の学習机に置いていた、銀細工の鎖装飾に手を伸ばした。
細い鎖の片側は、《頂》が所属する国家である《ノーザン・ローズ》の象徴──薔薇を模したネクタイピンになっており、もう片方には《頂》の校章。変則六芒星の意匠が施された、小さなピンバッジがついている。その方陣の中央には、無色の小さな水晶がはめ込まれており、僅かな光を反射していた。
──それは、入学手続きの際に手渡された《頂》の生徒である証だった。
マミナは、手に取った銀細工の装飾を、薔薇のタイピンは胸元のリボンタイに。校章のピンは、まだ真新しい制服の左側にある胸ポケットの淵に、しっかりと刺し込む。
手を離すと、その二つを繋ぐ細い鎖が──まるで軍服の飾り緒のように──マミナの左胸で弧を描く。
その感触と緊張が、改めて自分が《頂》の生徒になったという実感を呼び起こし、自然と胸が高鳴った。
《頂》の制服に身を包んだマミナは……寝室の入り口横に備え付けられた、姿見の前に立ってみる。
──そこに映るのは、見慣れないけれど確かに自分。
《頂》に来たあの日、静謐な廊下で出会った……アリスさんと同じ制服を着ている。
心臓がトクトクと高鳴り、この制服と一緒に、どんな未来が待っているのだろう? と、自然と気持ちが期待と不安を帯びる。
アリスやステラといった、《頂》で出会った人達と同じ装いのはずなのに──自分が着ているとそれは、どこか不思議と違う印象を受けた。それはまだ、自分がこの《頂》に馴染んではいない、ということなのだろう。
それなら、この制服を着るのに相応しい人間になろう──と、マミナは決意を新たにした。
すると、同じく《頂》の制服に着替えたクリスが、ひょこんと寝室を覗き込む。
その整った出で立ちを見たマミナは、思わず感想を口に漏らした。
「クリスはもうすっかり馴染んで……っていうか、《頂》の制服着たら、なんかもう立派な司書さんって感じだよ」
マミナが漏らした素直な感想に、はにかみながらクリスは応える。
「──ありがと。マミちゃんも制服、すごく似合ってるよ」
「そうかなぁー……?」
クリスがそう言ってくれるのなら、素直にそう思いたいのだが……マミナは、今ひとつ自信が持てないのであった。
その時──
ふと、何か呼びかけられたような気がして、部屋の一角に目を向ける。
窓から差し込む朝日が届かず、静けさに包まれた部屋の片隅。
そこには、中等部からの三年間、共に過ごしたセーラー服が、ハンガーにかかったまま取り残されている。
その思い出の共有者は──どこか寂しそうに見えた気がした。
その姿をしばらく見つめていると、クリスが不思議そうに尋ねてくる。
「どうしたの?」
「……ん。ちょっと。寂しいなって」
マミナの視線とその言葉で……全てを察したクリスは、眼鏡の奥の瞳をやわらかに細めて微笑むと、あとは無言でその様子を見守ってくれている。その心遣いに甘えて、またしばらく、自分が着ていた制服を眺めていたマミナは……
(……今までありがと。これからまた、この子と一緒に頑張るね)
──と、どこか寂しそうに、そう微笑んだ。
教室に入ってきたエルデを見た瞬間、マミナは思った。
(どうみても一流な人が……ここにもいたよ……!)
エルデが着ると、その制服は完璧に似合っていたのだ。同じ一年なのに!
その存在感たるや、アリスやステラと比べても何ら遜色がない。
「……エルデさん、すごく似合ってる」
自分の席に向かうエルデ対し、思わずそう呟いてしまったマミナは──
「エルデさん、じゃないでしょ?」
と、ジト目になったエルデに、人差し指で額をちょこんと弾かれる。
「あ、ゴメン。つい……」
マミナは、つつかれたおでこを意識しながら、誤魔化すように苦笑いする。どうしてもマミナは、エルデに対し呼び捨てというのが、まだ慣れなかった。
……もっとも、今回の場合は目の前のクラスメイトが、とても同期に見えなかったからなのだが。
エルデは、特に気分を害した様子もなく、
「あんたも似合ってるわよ。ようやく操者としての風格が出てきたってカンジ?」
「ありがとー……って、それ褒めてる?」
「当たり前でしょ。あんたは自分を卑下しすぎなのよ。あたしがそう言ってるんだから、素直にそう受け止めなさい」
「……うん。ありがと、エルデ」
マミナは素直に受け止め、改めてそう言い直したのだが──
エルデは口を噤んでしまい、しばらくこちらを観察していたかと思うと……
「……どーいたしまして」
と、そっけなく答えて自身の席に鞄を置いた。
エルデが言葉を躊躇するときは、だいたい照れているときだ。マミナには、それが何となく分かるようになってきた。
クリスは、そんな自分たちのぎこちないやり取りを、声を抑えるようにクスクスと笑いながら見ている。
すると──
エルデが話題を切り替えるように声の調子を変えた。
「ったく……あんまりのんびりしてたら置いてくわよ」
「置いていく?」
「なに? あんたも当然、見学するんでしょ?」
彼女の見学という言葉で、マミナはすぐに思い当たった。
「あ、そうだ。忘れてたわけじゃないんだけど……」
「……制服に浮かれるのもそのくらいにしときなさい? さぁ、すぐに移動するわよ。キリキリと」
エルデは、教室内の時計に目を向け、時間を気にするように告げる。
「今シーズン、アリスさんの最初の試合なんだから」
連日行われる試技により、序列上位に名を連ねる者たちの実力が、次々と露になっていく。
先月初頭に行われたマミナとエルデの一戦は、《頂》では開幕の狼煙──デモンストレーションに近い位置づけだった。
操者としての実力で勝る者が序列を上げ、それに劣る者から敗れていく。
単純明快な勝負の世界。
だが、そこに至る過程(プロセス)は単純ではない。
《屋外試技場(アリーナ)》で行われている、今シーズン初めてのアリスの試合。
序列一位と四位の対決という、本日最大の注目カードを、観戦席の生徒達は思い思いに見守っている。
見学者も多いとはいえ、まだ空席があるにも関わらず……観戦席の壁の一角に背中を預け、その試技を観戦している背の高い女性──サイガもまた、この試技会という制度の「頂」を目指す生徒の一人だった。
試技の開始前こそ、自分が試技場(ここ)に……いや、そもそも《頂》にいることを珍しがって、好奇の視線を向ける者もいたが……
試合が始まってしまえば、そのような物好きは一人もいない。
いま、この舞台の主役は間違いなく、試技に挑んでいる彼女達なのだから。
所詮は観客である自分に対し、気を取られる者などいないだろう。
お陰で何不自由なく、こうして観戦に集中できる。
「──ティンクルレイ!」
アリスの初戦の相手である序列四位の生徒──ステラの声が高らかに響く。
その、少女然とした声からは想像もつかないような威力の輝きが、アリスに向かって一条の線を引く。
「我が弓手に光よ」
だが、アリスの淡々とした──まるでステラとは対照的な声により紡がれた光が、アリスの意に従って、その光を迎え撃つ。
まるで、ステラの術を相殺するのに必要な分〝だけ〟の威力を放ったかのように……二つの光が衝突すると、その見た目の派手さとは対照的に──その威力は、周囲に撒き散らされることなく消滅する。
その光景に、ステラの動揺した気配が遠目にも見えた。
障壁で威力を防ぐのではなく、必要な威力をぶつけて相殺する──簡単にやってのけているが、並大抵の操者に出来る芸当ではない。理術の構成、威力の見切り、あとはそれを実行に移す胆力と、相手の手を見てから間に合わせるだけの速度が求められる。
格下ならともかく、ステラ相手にこれが出来る操者が、教師連中を含めて今の《頂》に何人いるか……
「……ならっ!」
だが臆することなく、ステラは右手を颯爽と天にかざして、次の理術の構成に入る。
「ティンクルレイ……」
ステラが発したその呪文と共に──今度は、そのかざした手のひらに巨大な光球が生み出される。
その光球は、まるで力を蓄えるようにその場に留まり……
「──アスターッ!」
続けてステラが発した言葉に応じて、無数の光を投射した。
線の光で届かぬなら、物量による包囲殲滅──ということだろう。派手好きのステラらしいアプローチといえるが……
おびただしい数の光線が飛散し、各々の光は、まるで意思を持つかの如くアリスに向かって降り注ぐ。
それはまるで──星の名に違わぬ光輝の乱流。
もちろん、このような芸当が出来るステラの四位は伊達ではない。
仮に自分が理術戦を挑めば、たちまち返り討ちにされるだろう。
流石にあの光全てを、後手から迎撃するのは不可能。正面から防ぎきるのも難しい──
と、観戦する誰もが思った中……
「──我が身に氷上の風よ」
そうアリスが唱えると──次の瞬間。
あろうことか、散弾のような無数の光を、まるで地面を滑るように移動しながら右へ左へと躱していく。
アリスが描いた軌道を追うように、大地には次々と光が飛来し、破壊の痕が穿たれる。
その余波と、理術による断続的な加速に、その長い銀髪を揺らしながら移動していくその姿は──
まさに、氷上を滑る妖精だった。
アリスが使ったのは重力制御。
自身にかかる重力を限りなく抑え込み、浮遊や飛翔といった──生身では到底不可能な動きを実現する術の応用だろう。
瞬間的な加速ならともかく、こういった断続的な減加速となると、そう簡単に拝めるものではない。
「──こぉのっ!」
その光景と、次第に大きさを減らしていく手元の光に、焦ったステラがそう叫ぶと──光球は、残る熱量を弾けさせ、アリスに追いすがる光が、まるでステラの意気に呼応するかのように加速する。
流石に逃げ切れず、星の光がアリスに届いたかと思えた瞬間──
「我が馬手に盾よ」
顔色一つ変えずに唱えたアリスの術によって、その光すら威力を振るうことなく阻まれる。
避けきれないなら防ぐだけ。それも必要な分を。
これ以上なく合理的な捌き方だ。実践出来るかは別問題だが。
だが事実──アリスが発動した防御の術は、ステラの無数の光を受け止めてなお健在だった。
もともとステラは、理術の「威力」に定評のある操者だ。一撃特化の火力型といえる。
だが今は……
構成速度。つまりは理術の基盤となる構成を組んでから、発動までの時間。
そして近接戦の動きや、先ほどのような理術も含めた機動力。
そういった総合的な「速さ」で上回るアリスに対し、その長所を発揮できないでいる。
いや……アリスが発揮させないという方が正しいか。
彼女を理術戦で降ろすのは不可能なのだ。
アリスの強さとはそういうものだった。
こうしている間にも、繰り出す手が次々と捌かれ、追い詰められたステラの鳩尾に──アリスの放った右の掌打が突き刺さる。
インパクトの瞬間ステラの背中から、その衝撃が大気に螺旋を描きながら突き抜けていくのがハッキリと見て取れた。
いわゆる、東洋武術でいうところの〝頸〟と呼ばれる類のものだ。理術ではない。
……まるで理術なのだが。
サイガは思わず嘆息する。
つくづく厄介なのだ。アリスはこういった技術にも長けている。
目を見開いたステラの表情が、次第に苦悶の色に染まっていく。
あれは身体の内側に効く──と、苦々しく認める。自分は身をもって知っている。
崩れ落ちるステラを、まるで遮らぬように身を引いたアリスは──ごく自然と直立し、目の前で膝をついたステラに対し、泰然と右手を向ける。
すると次の瞬間──
アリスの身体から、ひどくシンプルで、だが今のステラには抗いようのない理術の構成陣が展開される。
ステラに殺意は感じなかったろう。ただ、絶望だけが目の前に広がっている。
──続けますか?
と、アリスが口にしたわけではない。
ただ静かに……ステラの判断を待つその気配と、それを見つめる赤い瞳が、それを雄弁に語っていた。
ステラは、苦渋に満ちた表情で──無理もない。あの自信家の気持ちもよく分かる──俯き、その気配に答えた。
「……負けました」
小さく呟かれたステラの宣言は……いつの間にか静まっていた場内に、その声量に見合わぬほどハッキリと聞こえた。
アリスに憧憬を抱く生徒達の、抑えきれない喜びの気配が静かに滲んでいく。
だがステラや──今後アリスに挑む可能性がある者たちの複雑な想いもまた……深く、静かに漂っていた。
試技を見届けたサイガは、徐々に喧騒を取り戻しつつある観戦席から意識を遮断するように──半分だけ瞼を降ろし、狭まった視界に意識を重ねるように、一人、黙考する。
アリスという操者を語る上で、まず挙がるのは総合力だ。
理術、体術だけではない。判断力、胆力、そしてさざ波もたてない自制心。全てが操者として一級品なのだ。
とりわけ理術の制御に関しては、誰も届かないだろう。
今期のアリスも盤石だった。付け入るスキがない。
──だが、それでいい。
そうでなければ目指し甲斐がない。
サイガは不敵に笑う。
自身の身体の正面で、右の手首を左手で掴み……その開かれた右手をしばらく見つめ、力強く握り込む。
理術でアリスは倒せない。おそらくは、誰も。
だから自分は、拳(こぶし)を選んだ。
その試技を観戦していたマミナは言葉を失っていた。
初めて観る、序列一桁(シングルランカー)同士の試合。
開始前こそ、アリスの試技を初めて見られる機会。そしてその相手も、《頂》では数少ない、言葉を交わした先輩でもあるステラという状況に──いやがうえにも興奮を抑えきれずにいたのだ。
そう。思い返せば、浮かれていたのだろう。
だが今は──
まずステラが、初めて会った時の印象とまったく違っていた。
試技で戦うステラの姿と、その扱う理術に圧倒されたのだ。
そして、そんなステラを……マミナからみたら完封したようにしか見えないアリスの実力に、驚きや憧れよりもまず、畏怖を覚えた。
二人とも、やっていること、扱っている理術の〝次元〟が違う。
隣にいるエルデでさえ、試技が開始してからは終始無言だった。
二人の試技から何かを得よう、あるいは学ぼう。そういった気持ちが、お互いにあったのは間違いない。
だが、結局マミナが感じたのは、置き去りにされる感覚と遠い背中。
たとえ理術の構成が理解できても、二人の攻防にまったくついていけなかったのだ。
言いようのない沈黙。なんとかこの空気から逃れたい一心で、乾いた唇を開く。
「えっと……その。すごかったね。……アリスさんも。ステラさんも」
「…………」
エルデにとっては、数年ぶりに観るアリスの試技だったはずだ。マミナからみても、エルデがこの試技を楽しみにしていたのは想像に難くなかったし、観戦前の様子からも、それは伝わってきていた。
だが今は……アリスも立ち去り、誰もいなくなった舞台を見つめ、先ほどの試技と向き合ってるようにみえる。
マミナがエルデの反応を辛抱強く待っていると──
「あんたは……アリスさんの試合見るの、初めてなのよね?」
と、視線はまだ舞台に向けられていたが、ようやく言葉が返ってきた。
「うん。というか試技自体、《頂》(こっち)に来てから観るようになったから……」
「さっきの試合、二人が何をしていたのか……理解できた?」
ようやくエルデは、こちらを向いて問いかけてくる。
真剣な眼差しだったが、その表情からは純粋に、マミナにはどう見えていたのかという好奇心が見て取れた。
マミナは、胸の内を正直に伝える。
「えっと……構成はちゃんと視えてたし、あるていど把握は出来たけど……それでもわからないことだらけだよ」
エルデは一瞬だけ視線を外して、この際だからと思い直したように、再びこちらに目を向ける。
「……理術に関して分からなかったのは、具体的にどの部分?」
再びの問いに、マミナは思わず視線をあげて、頭の中で先ほどの試技を反芻し、
「ステラさんが最後に使ってた術と……アリスさんが滑るみたいに移動してたところ、かな」
と伝えた。
「決定打というか、試合の分水嶺の部分ね。逆に、それ以外の部分がちゃんと分かったなら……やっぱりあんた、エリス先生が見込んでるだけあると思う」
そう言うと、エルデはようやく表情を和らげた。苦笑い混じりではあったが。
そのことに内心ほっとしていると、わずかに弛緩した空気の中で、エルデはさらに問いかけてくる。
「ステラ先輩が最後に使っていた術が、どういったものなのかは推測できる?」
これは、いわゆる『感想戦』というのを求めているのだと、マミナはそこでようやく気付いた。
今ある知識を総動員して、マミナは自分の考えを、出来る限り正確にエルデに伝える。
「……ステラさんが使った『ティンクルレイ・アスター』自体は、『ティンクルレイ』──光を放つ理術を連続で使ってるわけじゃなくて、まず最初に、理力を大きなエネルギーとして出力する。……さっきの場合だと、ステラさんが生み出した大きな光球体がそれで……エネルギーの貯蔵体っていえばいいのかな? そしてステラさんは、その光球から一つ一つの光線に必要なエネルギーを取り出して、制御してるのかなって……思ったんだけど」
「…………」
エルデは、驚きとも失望ともとれない表情で、こちらを覗き込んでいる。
そのことに、自分が的外れな推測をしてしまったのではないかと不安になっていると……
「……ほぼ合ってるわよ。ちゃんと理解できてるじゃない」
と、口元を緩めた。
エルデは感心半分、賞賛が半分といった様子であとを続ける。
「補足すると、光球体は光線を放つごとに消費されていくリソースってこと。だから、徐々にサイズが小さくなっていってた」
そのことにはマミナも気付いていたので、こくりと頷く。
「ただ、アリスさんには術を回避され続け、リソースも、術の有用性もどんどん下がっていく。まさにジリ貧の状態だったから、ステラ先輩は残りのエネルギーを『速度』に使った。持続時間や放射出来る光線の数は減っちゃうけど、ここがトレードオフの関係ってわけ。実際、再加速させたからアリスさんは防がざるを得なくなった」
エルデは、こちらへの解説というよりも、まるで自身の考えを整理するように補足する。
「この場合、肝心なのは……いわゆる〝アスター〟版は、攻撃中はずっと制御を手放していないことよ。理術って、普通は言葉を発して、術を『現実の事象』として顕現・定着させることが成立した段階で、制御自体はさっさと手放したくなるものだから」
マミナは静かに同意する。
ようは、マッチと同じなのだ。火が付いたマッチ棒をずっと保持していたら自身が火傷を負う。だから、どこかで必ず手放す必要があるのだが、軸となる木の長さは操者次第だと、以前エリスに解説してもらったことがあった。
エルデは頷き返し、
「術を制御『し続ける』ことの方が、操者にとって負担が大きい。難易度もリスクも、遥かに高いって点がポイントね。もっとも、あんたはその辺得意みたいだから、今のもナチュラルに理解できたんだろうけど……」
エルデにいきなりそう言われ、意味がよく分からなかったマミナは問い返す。
「ええっと……どういうこと?」
「あんたが使ってる『ディーヴァの炎』。あれって威力を溜めて撃ったり、二戦目みたいに有効範囲を絞ったり、射程や威力が可変でしょ? それって要するに、アンタは既に術の『継続制御』を扱ってるってこと」
「継続制御?」
「……なに? もしかしてあんた、理解しないで使ってたの?」
「私の場合、エリスさんに教わった通りにやってただけだから……溜めて撃つ、みたいな。専門的なことは、まだまだ教わってる最中というか……」
「……わかってはいたけど、やっぱりあんた。色々と歪だわ」
心底呆れた様子で、エルデは深々とため息をつく。なんとなく、バツの悪い心地になったマミナは……
「もっと、ちゃんと勉強します……」
と伝え、思わず真新しいスカートを握り込んでしまう。
「……責めてるんじゃないの。普通じゃないって言いたいだけで」
そう言いながら、いつのまにかエルデの表情に、不安と懸念が混じっていることにマミナは気付いた。
当人であるエルデは、そのことに気付いているのかいないのか、淡々と言葉を続けている。
「感覚が先行するっていうのは悪いことじゃないの。ただ、技術って結局ピラミッド構造だから、土台がしっかりしてなきゃ危ういってこと。その辺はたぶん、エリスさんからも口酸っぱく言われてると思うから、あたしがとやかく言うつもりはないんだけど……」
要は……自分のことを心配してくれているのだろう。
その不器用な優しさを、マミナは心底噛みしめながら、次の疑問を口にした。
「でも……ステラさんのと違って、アリスさんのやったことはよく解らなかったよ」
「んっと……アレはね」
エルデは、その整った顎に手をあてて、しばし黙考する。
頭の中では、きっと自分が想像もつかないような反芻が繰り返されているのだろう。
さほど時間をかけず言葉がまとまったのか、エルデは再び口を開くと、
「『重力制御』に関しては、知ってる?」
「ええっと、言葉だけは」
「まぁ……そこを知らないと、理解できないのは無理もないわね。実際、あんまりメジャーな技術とも言えないから。でもなんとなく、言葉から想像はできるでしょ?」
「……重力を操る、でいいのかな? そのままだけど」
「ご名答。まんまでいいのよ。技術名称に気取った名前つけられても、解りにくいだけでしょ」
マミナは少し思い当たる単語が浮かんだので、具体的に挙げてみた。
「……グラビティ・ダンパー、とか?」
「その程度ならまだ許容範囲だけど……いい歳した大人達が、熱心にネーミング議論してるとこ想像するのはシュールね……」
と言いながらも想像してしまったようで、うろんげな表情でエルデは応えた。
「まぁともかく、そういうノリは否定しないけど、こういうのは本人が解ればいい呪文や詠唱とは違うってこと」
マミナはなんとなく、エルデが眼鏡をかけて、想像上の教師がよく持ってる棒──いわゆる『差し棒』を片手に、それをぴこぴこと揺らしながら解説してる姿を思い浮かべた。
そんなマミナの空想に気付くはずもなく、エルデは淡々と解説を続けている。
「例えばだけど、一瞬で相手と間合いを詰めたい時に強く蹴り出す。この場合は瞬発力が大事なんだけど──」
「けど?」
「人間が速く動くのには、初動に使う力は強ければ強いほどいい──って思われがちなんだけど、人体には耐えられる負荷に限界がある。その上限を超えてしまえば、当然人体は壊れるから、無尽蔵に力を加えるわけにもいかない。結局、《操者》でも人体の耐久度は無視できないわけね。ここまでは分るでしょ?」
マミナはこくこくと頷いた。
「だから、理術による身体能力の強化ってアプローチはあまり発展することがなく、操者が設計、あるいはイメージした物理現象を理力によって引き起こす……つまり、私達がやってるみたいに光や火みたいな『分かりやすい熱量』をぶつけるのが主流になってるんだけど……」
エルデはいったん言葉を切り、このまま続けても大丈夫なのかと視線で確認してくる。
さきほどから勉強になることばかりなので、マミナは同意するように頷き、右手で「続けてどうぞ」と先を促した。
エルデは説明を再開する。
「力を加えるんじゃなくて負荷を軽減する──ようするに、自分にかかる重力。摩擦や抵抗にも関わってくる部分に干渉して、疑似的な運動量の向上──超人的な跳躍や加速を可能にするっていう技術なの。これが極まれば霊長類の夢、ある程度なら空を飛ぶことだって出来るらしいわ」
「……らしいって、エルデはできないってこと?」
「……まぁ、そうね。できないっていうより、学ぶ機会がなかったっていうのが正確だけど」
エルデは、立てた人差し指をくるんと回し、
「理由は簡単。飛行なんて、失敗したら即自滅に繋がるような真似、わざわざやろうとは思わないし、仮に《頂》みたいな場所で、技術として教えるにしたって……その過程でどれだけ代償が必要か、わかったもんじゃないでしょ? 命がいくつあっても足りやしないわよ。流石に禁忌とまでは言わないけど……カリキュラムとして万人に教えるようなものでもないでしょ」
と、冷めた様子で理由を述べた。
「結局、制御に失敗しなくても、扱い方を間違えたら簡単に操者自身の身体や生命を脅かしてしまうものだから……常にリスクと隣り合わせってことね。だからマイナーなんだけど」
「でも……リスクっていう意味なら、理術を扱う行為……制御そのものがそうじゃない?」
「……まあ正論ね。だから私達というか、《操者》にとって術を制御することがどれだけ大事で、責任を伴うかってことに繋がるんだけど……」
エルデは、気付いたようにいったん言葉を止めると、
「……話が逸れたわね。アリスさんが見せた地面を滑走するみたいな動き。あれは《重力制御》の応用というか、発展版だと思う。普通、重力制御自体は、近接戦や体術の補助的な目的で使われることが多いのよ。一瞬で間合いを詰めるための瞬間的な加速。あるいは回避するための極端な切り返しだとか、術や相手を飛び越えるために高く跳躍するだとか……」
エルデの解説は続く。
「でも、それらはあくまで『一瞬の制御』で『直線的な動き』だから、さっきのアリスさんみたいな断続的な減加速は……やっぱり《継続制御》にも該当すると思う。ようするに、複合的な理術ってことね。簡単に真似できるようなものじゃないから、あんたでもよく解らなかったっていうのは、当然のことなのよ」
解説の内容もちゃんと聞いてはいたのだが、それでもエルデの、あんた〝でも〟という言葉に引っ掛かった。
自分に対するエルデの評価は、ひょっとして思ってたより高いのかな……?
などと考えていると、
「アリスさんが、最初からステラ先輩の理術を正面から受けず、リスクを承知でこういった真似をした理由についてはどう?」
「いくらアリスさんでも、ステラさんのあの攻撃を全部受けるのは危ないから……だよね?」
「そう。攻撃と同じく理術による防御も、やっぱり継続して維持するのは難しいし、そこで我慢比べするリスクを取るより、回避に専念して相手の威力をまず無効化。ステラ先輩が次手の変化で喰らいついてきたところに、一瞬だけ防御を張る」
エルデは、先ほどの試技でアリスがやったのと同じように──正面に右手をかざす。
「ステラ先輩の勝負手を、無理せず二手で封殺したわけね。許容できるリスクの範囲内で」
一通りエルデが解説し終えたあと、沈黙が訪れる。
エルデの解説に対する所感を、一言であらわすなら……
「たった数手の理術戦なのに、二人とも、あんな短時間でいろんなことを考えて実行してたわけだね……」
「とんでもないわよ。アリスさんはもちろん……ステラ先輩だってね」
エルデは、諦観混じりのため息をつき、脱力して前方座席の背もたれに身体を預け、
「正直、脱帽よ。仮にあたしがステラ先輩の真似なんかしたら、すぐにガス欠すると思う。あんたなら……ひょっとしたら出来るかもしれないけど」
と、吐露する。
「……そうなの?」
エルデにそういわれても実感が湧かないので、疑問符をそのまま投げ返すと……
「ああいうのは結局、理力の総量とか、一度に出力できる理力の大きさが重要だから。その点に関しては、アンタの方が優れてる……っていうのは、お互いの初戦で実証済みでしょ?」
エルデは、複雑な笑みを浮かべると
「こういうのは身長とかと同じで……持って生まれた資質に依る部分が大きいから」
と、静かに呟いた。
決して体格に恵まれてるとはいえないエルデの葛藤を、その言葉から垣間見た気がする。
「あんたの才能は、あたしが保障するわよ。……本音をいうと、まだ認めたくないけどね」
辺りがすっかり閑散としていたことに、意識が引き戻される。
気が付けば、思いのほか長いあいだ、こうしていたようだ。
サイガは、自虐を込めて苦笑する。
一人で過ごす時間が増えると……どうしても、こういった癖が染みついてしまうのだろう。孤高を気取るつもりはないのだが。
ふと、人も少なくなっていた見学席に並んで座り、なにやら熱心に話し込んでいる二人の生徒に目が止まる。
二人とも真新しい制服に身を包み、一人は金髪を耳のあたりでおさげに結んだ、見るからに利発そうな生徒。
もう一人は──こちらは知っている。真っ直ぐな黒髪と青い瞳が印象に残る、このあいだ面白い試合をしていた例の外来生だ。
その様子は、真剣に聞き入ったり、わかりやすく驚いたり、ときに小首を傾げたりと、くるくるとよく変わっている。
おそらくは、先ほどの試技の内容を、いまだに考察しているのだろうが──
(……上がってくる連中ってのは、こういうところからして違うからね)
サイガは思わずほくそ笑んで、胸に沸いた期待を持ち帰るようにその場を後にした。
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